元自衛官の憂い The third
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| 02091346 | 両陛下フィリピンご訪問に思う |
今上陛下は我々、日本人に歴史を学ぶよう鼓動で示されているように感じます。大きな災害時には、現場が落ち着くとすぐに現地に向かわれ被災者を御慰めされます。歴史だけでなく、我々日本人が忘れかけた心を、思い出せとおっしゃられているようにも感じます。
筆者は今上陛下の東日本大震災後の「平成の玉音放送」といわれるビデオメッセージに目頭が熱くなりました。自衛官にとり、菊のカーテンの向こう側にいらっしゃる皇室の方々は自衛官を嫌っていらっしゃるものと思っていました。
平成5年のことだと思います。日本政府が購入した政府専用機が6月に特別輸送航空隊として本格活動を始めましたが、9月に今上陛下と皇后陛下がお使いになり、宮内庁より帰国時に空幕長がお出迎えの許可を受けました。しかし、お出迎えには制服ではなく背広でとの指示があったと記憶しています。自衛官に制服を脱いでお出迎えしろというのは、尋常なことではありません。こうしたことからも、自衛官は皇室の皆様は自衛官・自衛隊がお嫌いであると忖度していました。
しかし、震災直後のビデオメッセージで、被災地で活動する最初の組織として「自衛隊」を挙げられたのは驚きを通り越して涙が溢れそうでした。
フィリピンでの戦いは、日本軍はすでに戦力が消耗し切っており、「和を求めるにしても、ずるずると敗戦するよりも立場は有利になるだろう」と一撃講和から決戦を挑みました。
フィリピンは当時、アメリカの植民地でした。アメリカは極東軍を駐屯させており、フィリピン軍との兵力は15万を超えるものでしたが日本軍がフィリピンを占領します。
アメリカはフィリピンの独立を約束しており、占領した日本もフィリピンの独立を承認した形を採りましたが、フィリピンに誕生した政権は日本軍の傀儡政権で、依然としてアメリカからの支援を受けた反日武装ゲリラが多数存在していました。
フィリピン攻防戦では約10万人といわれるフィリピン人が犠牲になりましたが、日本による統治下では虐殺事件や様々な差別的な行為が日本軍による行われました。
こうしたことからフィリピンでは反日感情は良くありませんでした。マニラ等の都会では別ですが、山岳部などに入り込むとあからさまに日本人を拒絶するお年寄りなどが数多くいました。筆者も経験があります。
とかくフィリピンというと日本人は日本で働く女性たちしか思い浮かべませんが、戦後のフィリピンは日本にとり忘れてはならない国として記憶されるべきことをしてくれました。
戦後、敗れた日本兵が米軍により移送される際、「ドロボー」「バカヤロー」と日本語で罵声が浴びせられ、石を投げられたそうです。戦犯裁判(B・C級)ではアメリカ軍により行われましたが、フィリピンの独立でフィリピン政府が所管します。当時のロハス大統領や裁判の関係者は、「公平かつ道理に即した裁判を行い、事実を記録し後世に伝える」と宣言し、フィリピン人弁護人も付けられました。
訴追された151名のうち79名が死刑の判決を受け、13名が無罪判決を言い渡されました。
フィリピンでは死刑には大統領の認証がなければ執行できず、ロハス大統領の後任であったキリノ大統領は17名の執行を認め、それ以上の執行には承認を与えませんでした。キリノ大統領は戦争下では上院議員で、マニラ戦で妻子4人を亡くされています。戦闘で自宅の一部が破壊され、夫人と長男、長女、次女、三女が近くの義母宅に避難しようとした際に日本兵の狙撃を受けました。夫人と長女が即死。夫人が抱いていた三女が投げ出され泣いているところを日本兵が銃剣で刺殺。キリノ氏は非難するために貴重品などを次男と運んでいたそうです。避難しようとしたところ更に5人の親族を失いました。
日本で助命運動が起き、キリノ大統領の元に嘆願書が届きましたが、大統領は身柄拘束中であった有期・終身刑の105名をフィリピンに戻らないことを条件に釈放。死刑囚は無期刑に減刑しン日本での服役を認める恩赦を行いました。
特筆されるのは、大統領の声明です。
「自分の子孫や国民に、我々の友となり、我が国に恩恵をもたらすであろう日本人に対し、憎悪の念を残さないために、この措置を講じたのである。(中略)日本とフィリピンは隣国となる運命なのだ。私はキリスト教国の長として、自らこのような決断を成し得たことを幸せに思う」
安倍さんの談話が陳腐に思えるのは私だけでしょうか?
キリノ大統領はこの70年後に起きることを予測したいたかのようです。キリノ大統領は退任間際の1953(昭和28)年12月、日本で服役していた元死刑囚を特赦して釈放します。
こうしたことは日本では一切伝えられていません。こうした歴史を知ってか知らずか、フィリピンと中国の対立に日本国民の同意を得ず巻き込まれると警戒感を示す識者までいます。それが、キリノ元大統領に対する日本の姿勢でいいのでしょうか。義理人情の日本人がすることなのでしょうか。
国益を守るためには非情な手段を用いなければならない場面もあります。しかし、東日本大震災ではこれまで日本が世界に示してきたことが間違いではなかったことを証明しました。恩に報いることもまた、国益を守ることに繋がるのではないでしょうか。
数字を持ち出すのはいやらしいのですが、戦後賠償としてフィリピンに5億5000万ドル(ビルマ2億ドル、インドネシア2億2300万ドル、ベトナム3900万ドル)が支払われました。ラオス、カンボジア、オーストラリア、オランダ、イギリス、アメリカは賠償請求権を放棄(もしくは行使しなかった)。
でも、半島の国には無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルが支払われました。ちなみに半島には40億ドルを超える在外資産があったとされています。フィリピンにあった在外資産は他地域と合計されてしまっていますが、半島にあった資産の3分の1以下です。
未だに声高に怒りを込めて糾弾する国。微笑みをたたえて、過去を問わない国。どちらをどうするか、それは我々日本人の未来がかかっていると見るのは大袈裟でしょうか。陛下のフィリピンご訪問はこうした事実に目を向けさせてくれる絶好の機会となりました。
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:12/02/09:49
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