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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/23/10:45

08071155 原爆投下は勝者の奢りだった

1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の核攻撃が行われました。いわゆる〝戦略核攻撃〟です。
標的となったのは「民間人」であり「都市部」でした。
私は当時の日本政府、日本人がなぜ、非人道的兵器により非戦闘員が大量虐殺(ジェノサイド)だと、アメリカを非難しなかったのか納得できずにいます。
そして、こともあろうに反米感情ではなく、放射能・放射線をただ怖がるだけで終わらせてしまったのか。正しく学ぶ気がなぜなかったのか残念でなりません。

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08010858 中華思想に毒された国

オリンピックの結果に激しく反応する「中国人」。
SNSなどを見ていると、日本人のとメダル争いになると目の色が変わります。
日本人に負けることは、民族の恥とでも思っているかのようです。
ボイコットを叫んでいながら、ノコノコやって来た国「韓国」ですが、この二つの国ですが笑ってしまうほどそっくりです。韓国は流石に、SNS上では目立った日本批判は中国に比べるとおとなしいです。
正直なところ、中国人、ことに漢民族の狂気じみた自民族中心主義思想は恐怖です。
中国共産党政府(以下、「中共政府」)の新疆ウイグル自治区の弾圧はさることながら、移住した漢民族の一般人が民族差別しているのには驚かされました。それを中国警察当局は無視。新疆ウイグル自治区は、ナチ政権下のドイツのような有り様です。もしかしたら、それ以上かもしれません。

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07291531 五輪反対から転向する理由

7月23日東京五輪が始まりました。

私は五輪開催には反対でした。しかし、ここに開催賛成に転向します。

転向する理由は、日本人の健康問題ではなく政争の具となってしまっていること。

反対派はSNS等を使って声高に訴えていますが、このほとんどが左派であることは言うまでもありません。

そして、決定的だったのは開会式が行われていた周へんでデモが行われ(デモというよりは集まって騒いでいただけ)、逮捕者が出ました。逮捕された男は、中核派の活動家でした。

ここまでくると、日本人の健康問題ではなく完全なイデオロギー闘争です。

これは、絶対に避けなければならないことです。

人類の敵〝新型コロナウイルス〟と闘うべきときに、イデオロギー闘争など無意味です。

開会式でのデモは、動画を見ると大勢が密集して大声を出しているだけで、これでは感染を広める危険性を高めているだけにしか見えませんでした。

こんなことまでし反対する輩と同じに見られるのは心外です。

若い世代が共産党や中核派に何ら違和感すら抱いていなようですが、彼らはISISと何ら変わらないテロリスト集団です。

オウム真理教と同じく、ユルユルな日本のテロリストに免罪符を与てしまう悪しき慣習が、時間の経過と共に彼らの罪科を見えなくしてしまっているせいです。

これは、保守政権が左翼・野党勢力に配慮した結果でもあります。

ダメなものはダメと言わず、有耶無耶・曖昧にしてきたために起きていることです。

これは、不幸にも中韓外交にも同じことが言えます。

日本は曖昧さを捨て、何がダメ(国民の為にならない)で、何が良い(国民の為になる)のかを明確にし、国民に団結することの意義を再認識させる時です。

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07201005 須佐之男命(スサノオノミコト)は現れるか

私たちは、独裁者が君臨する国家の隣国です。タチの悪いことに、独裁国家の身近にはさらに独裁者が君臨する核保有国家が存在するという、かつてないほど危険な状況下にあります。
独裁国家の一つは「中国」。そして、中国に庇護下にある「北鮮」です。
そもそも、現在の状況になってしまったのは資本主義国家(日本を含め)が、中国の巨大な市場を目当てに独裁国家を放置してきたからです。
経済的基盤を整え、経済成長する中に登場した「独裁者」が、その力を世界征服に利用しようとするのが当然と言えば当然の帰結です。
現在の状況は、新型コロナウイルス・パンデミックで明らかなように、「自分さえ良ければ─」そうした思考をする独裁者ならでは行為に、先進資本主義国家が気付いたからにほかなりません。
日本の神話に八岐大蛇を退治した須佐之男命(スサノオノミコト)を伝えていますが、今まさに日本は須佐之男命の登場を待つしかない状況に陥ってしまっています。

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07120913 オリンピックを開催する必要はあるのか?

個人的にはオリンピックを開催するべきではないと考えています。

SNS等でそうした意見を表明していましたが、ある時点で政争の具にされるようになり、極め付けは参加選手に〝辞退〟するよう求める開催反対派が現れ、私は開催反対であることを伏せるようになりました。開催を強行する政府も、それに反対する方も共に愚か過ぎるからです。

新型コロナパンデミックで、グダグダになっている日本政府がオリンピックの再延期など決断できるはずもありません。

そして、国民の生命・財産を論じるべきところを政争の具にする野党・リベラル派はオリンピック開催に反対はしても、その対案を全く出しません。小学校低学年以下です。これで、どちらかに与することなど私にはあり得ません。


不可解なのは、オリンピックを開催する『理由』を首相が我々国民に、全く説明していないことです。首相をはじめ、五輪相、組織委員長も「平和の祭典」「絆」だのと言って、開催すべき具体的理由を全く口にはしません。

唯一、まともなことを言っているのは、山口香JOC理事です。ちなみに山口氏は、コロナ禍の五輪開催に懸念し続けています。
「五輪は平和の祭典といわれますが、五輪をやったら世界が平和になるわけではない。平和に向かうために意見が異なる人とも対話して落とし所を探っていく。五輪が国民を置き去りにしたイベントになれば、そもそも誰のための五輪なのか」(朝日新聞6月23日付)

「平和の祭典」といわれるオリンピックですが、なぜ「平和の祭典」などといわれるようになったのか調べてみると、『古代オリンピック』期間中は、停戦協定が結ば開催地の周辺の全ての紛争が一時中断されたためだそうです。

そもそもが宗教的儀式でしたので、「停戦」もわかりますが、「平和」ではないことは間違いありません。古代オリンピックと近代オリンピックを同一視すること自体無理なのです。

近代オリンピックの歴史では、1916年ベルリン大会が第一次世界大戦で中止、1936年のベルリン大会ではヒトラーがオリンピックを利用したほか、第二次世界大戦で二度中止になっています。

近代オリンピックでは女性の参加は当たり前ですが、近代オリンピックを提唱したクーベルタンは「体力の劣る女性の参加はオリンピックの品位を下げることにつながる」として女性の参加には否定的でした。

これまでのように、オリンピックを崇め奉る必要があるのでしょうか?

日本政府は「安心安全」と一括りにしていますが、安心・安全とは全く別物です。

[安心とは心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこ]
[安全とは危険のないこと。平穏無事なこと。またその有り様]

以上のように安心は「主観的」なので、安全は「客観性」が必要なのです。それを同一次元で口にしても良いものなのか?

「できない」ことを「できる」と言って開催を強行しているのではないか。

これは、大多数の日本人がオリンピック開催を決めた政府に対し抱いている思いでしょう。

私には戦争に突き進んだかつての日本と重なって見えます。日米の国力差から、陸海軍部内からでさえ日米戦回避の声が上がっていたにもかかわらず、戦争に突き進んだ。「やってしまおう」という意識だけで戦争を始めてしまった日本と全く同じです。

せめて、「バックアッププラン」を立てていれば救われますが、日本人はバックアッププランを計画に盛り込むことを殊更嫌います。

その理由は、計画が失敗することを前提としているように見られるため、ひいては評価に大きく影響するためバックアッププランを用意しません。

これが、危機管理できない日本人を作っています。

オリンピックを「やってしまおう」だけで本当に開催して良いのか?

今回のオリンピックが、かつての戦争のように日本を焦土としないことを願ってやみません。

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