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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/25/21:14

08210941 昨日の友は今日の敵

93日、中国共産党(中共)は北京で「(対日)戦争勝利70周年記念」式典と軍事パレードを行うのだそうです。

習主席はかなり力を入れているようですが、軍事パレードは公開示威なのですから納得できます。

でも、日中戦争を戦ったのは中国国民党であり、戦勝国というのであれば中華民国というのが常識的な話です。


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 他人の成果を横取り、盗用、パクリなどと言われますが、パクリ大国ですから当然と言ってしまえばそれまでですが、こうした事実を知っておかなければならないのは現代人の常識です。

 昨日の敵は今日の友といわれますが、中国では昨日の友は今日の敵となるのが当たり前に行われてきました。

 例えば、「中国革命の父」と呼ばれる〝孫文〟です。

 日清戦争終結後、広州で武装蜂起を企てますが密告により失敗。孫文は日本への亡命します。日本ではアジア主義者であり浪曲師であった宮崎滔天によりアジア主義の玄洋社の総帥 頭山満と知り合い、頭山を通じて玄洋社代表平岡浩太郎から活動費・生活費の援助を受け、東京の住居は犬養毅が斡旋しました。

 中国に妻がいたにもかかわらず。日本人女性と駆け落ち状態で結婚。また、別の日本人女性を愛人するということまでしていました。

 東京で中華革命党を結成、1919(大正8)年には拠点を上海に移し、中国国民党と改称します。日本人のパトロンが現れなければ、革命など夢のまた夢だった孫文ですが、1920年ニコラエフスクでソビエト赤軍を支援し日本人を虐殺します。

 ニコラエフスク事件はロシア内戦中に発生したもので、冬季で孤立状態にあったニコラエフスクを赤軍パルチザン(ロシア人3000、朝鮮人1000、中国人300)が襲撃。住民への略奪・処刑を実行。日本軍守備隊に武装解除、武器引渡しを要求します。日本軍はこれを拒否し、日本軍は蜂起します。これに対し、パルチザンは中国海軍の協力で日本軍を殲滅。数千人の市民を虐殺します。虐殺されたのは総人口の約半分の6000人を超えるといわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍を含んでいました。日本人犠牲者は判明しているだけで731名で皆殺し状態。建築物はことごとく破壊され、街は廃墟となりました。

 恩を仇で返すようなものですが、孫文にとっては何の疑念も抱いていなかたようです。なぜなら、1921年に上海で中国共産党が成立。1924年に国民党第一回全国大会を開き、共産党との合同(第一次国共合作)を打ち出しました。

 シュールな展開ですが、向こうではこれが当たり前なのです。

 彼の国にとって、こんなのは序の口です。それを頭に入れて話(外交)をしないと、痛い目に遭うのは当然です。しかし、不幸なことに中国のすべての人がこの枠に当てはまらないということです。それを見極めるのは、私たちの人を見る目にかかっていると思います。

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