元自衛官の憂い The third
軍事的色眼鏡で見る世界
軍人は究極の合理主義者です。
合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。
軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。
家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
![]() (08/07)
(08/01)
(07/29)
(07/20)
(07/12) |
|
07232343 | [PR] |
08191129 | お前が言うな! |
パリ祭に招待された自衛隊が日章旗と連隊旗がパレードに参加し、まず韓国がお決まりの反応をしました。
以下、韓国中央日報から引用
フランス刑法第645-1条には「ナチスなど反人類行為犯罪を犯した集団を連想させる装飾などの着用または展示を禁止し、これを犯した場合は罰金刑に処する」という内容がある。ナチス・ドイツの象徴であるハーケンクロイツ模様の使用は厳格に禁じられているが、同じ意味を持つ日本の旭日旗を国家的行事に堂々と掲げて行進することを許した点は、日帝強占期の被害国の事情は考慮していないと解釈される余地がある。 引用終
読む視点で様々感想があると思いますが、フランスに対し抗議しているかのような内容には驚かされます。
韓国を追うように今度は中国が旭日旗について批判しています。
中独合作をご存知ですか?
中独合作とは1910〜1940年代に行われた中華民国とナチス・ドイツとの協力関係を指します。「合作」とは中国語で〝協力〟の意味です。1912年に中華民国が成立しますが、中国国内は安定を欠いていました。満州を足がかりに中国大陸に進出する日本、南からは西洋列強に蝕まれ国防の近代化を急ぐ選択をしました。その協力をしたのがドイツです。ドイツは近代化のための援助をする見返りに中国の鉱産資源獲得を狙っていました。ドイツはナチスが政権の座に就くと蜜月関係は最高潮となりますが、ナチス政権内で親中派と親日派の政争があり、日独防共協定の締結で中独関係は冷え込みました。しかし、ドイツの影響は日本を中国大陸の底なし沼に引きずり込むことに成功します。
1931年、満州事変で日本軍は中国軍を一掃し翌年には満州を完全に占領します。第一次上海事変が勃発すると、ドイツ軍事顧問団長が中国軍を指揮するなど協力関係から協同関係にまで進みます。1933年にナチス政権が誕生すると、関係が強化されます。ナチスは戦争経済推進を政策に掲げ、中国が産出するタングステンとアンチモンの獲得を重要視しました。
1933年5月、ハンス・フォン・ゼークト(第一次世界大戦後のドイツ再軍備に活躍)が招聘を受け上海に赴きます。ゼークトは蒋介石の上級顧問となり、6月には経済・軍事近代化計画を蒋介石に提出します。 蒋介石はゼークトの提案を受け入れ軍の近代化に着手します。ゼークトの提案は中国の対日戦略に言及しており、「中国は日本一国だけを敵とし、他のいかなる国とは親善関係を維持する」とし、「中国軍将兵に日本に敵愾心を持たせること」が必要としました。蒋介石は「藍衣社」を設立します。藍衣社は表向きは国民党支持団体であり。国民党の一党独裁を掲げる秘密結社ですが実態は蒋介石をトップとする諜報謀略機関でした。
メンバーは黄埔軍官学校(中華民国版陸軍士官学校)卒業生が中心でした。以前のCIAと考えていただけるとわかりやすいと思います。日本(軍)は藍衣社を認識していましたが、暴力的反日組織であり、諜報活動までする不思議な機関とされていました。ここで興味深いのは、藍衣社の中核組織である政治結社「三民主義力行社」が南京に設立されました。南京だけでいえば、日本軍が虐殺した現場ですが南京には藍衣社のほか中央士官学校、陸軍大学、化学戦学校、憲兵訓練学校、防空学校などがありました。現代の日本では横須賀といったところでしょうか。そうした場所で日本軍の占領下にあったとはいえ、中国の主張するような虐殺が起きたのか。そもそも起きるのか。真実は時の流れに埋もれてしまいましたが、当時の南京の事実として再認識すべきでしょう、
力行社は基本方針として日本と戦うには準備期間が必要とし、中共などの政敵を先に消滅させ、国内を安定させる蒋の「安内攘外」論を支持しました。そして、1937年に盧溝橋事件が起きるまでに蒋介石、国民党に反発する活動家やジャーナリストを次々と暗殺します。藍衣社のターゲットにされたのはほかに、日本に協力的な政治家も加えられました。さらに、藍衣社はゲリラ活動も活発に行い日本軍に大きなダメージを与えています。
ちなみに日本(軍)は中国とドイツの関係を知らなかったのかというと、知っていたのです。中国大陸で鹵獲したドイツのI号戦車が靖国神社に展示されたのです。こともあろうに、ソ連の戦車として展示していたそうです。
このような事実を中共はどう説明するのでしょう。まさか国民党政権のことだから…と逃げるのでしょうか。そのくらいは彼らは平気でやるでしょう。中共がそう出るなら、日本は中国ではなく国民党が逃げ込んで現在に至る台湾に謝罪すれば良いだけのことです。当時、中共は日本軍と正面では戦うことをせずひたすら兵力を温存していました。ろくなもんじゃねぇ!
もっと言えば、朝鮮は日本人待遇で中国大陸に乗り込み、中国人と摩擦を繰り返していました。彼らは旭日旗の威光を傘に着て威張り散らしていました。ろくなもんじゃねぇ!日本(人)はこの時代のことを深く学びません。当然、反論もできません。悲しむべき現実です。
以下、韓国中央日報から引用
フランス刑法第645-1条には「ナチスなど反人類行為犯罪を犯した集団を連想させる装飾などの着用または展示を禁止し、これを犯した場合は罰金刑に処する」という内容がある。ナチス・ドイツの象徴であるハーケンクロイツ模様の使用は厳格に禁じられているが、同じ意味を持つ日本の旭日旗を国家的行事に堂々と掲げて行進することを許した点は、日帝強占期の被害国の事情は考慮していないと解釈される余地がある。 引用終
読む視点で様々感想があると思いますが、フランスに対し抗議しているかのような内容には驚かされます。
韓国を追うように今度は中国が旭日旗について批判しています。
中独合作をご存知ですか?
中独合作とは1910〜1940年代に行われた中華民国とナチス・ドイツとの協力関係を指します。「合作」とは中国語で〝協力〟の意味です。1912年に中華民国が成立しますが、中国国内は安定を欠いていました。満州を足がかりに中国大陸に進出する日本、南からは西洋列強に蝕まれ国防の近代化を急ぐ選択をしました。その協力をしたのがドイツです。ドイツは近代化のための援助をする見返りに中国の鉱産資源獲得を狙っていました。ドイツはナチスが政権の座に就くと蜜月関係は最高潮となりますが、ナチス政権内で親中派と親日派の政争があり、日独防共協定の締結で中独関係は冷え込みました。しかし、ドイツの影響は日本を中国大陸の底なし沼に引きずり込むことに成功します。
1931年、満州事変で日本軍は中国軍を一掃し翌年には満州を完全に占領します。第一次上海事変が勃発すると、ドイツ軍事顧問団長が中国軍を指揮するなど協力関係から協同関係にまで進みます。1933年にナチス政権が誕生すると、関係が強化されます。ナチスは戦争経済推進を政策に掲げ、中国が産出するタングステンとアンチモンの獲得を重要視しました。
1933年5月、ハンス・フォン・ゼークト(第一次世界大戦後のドイツ再軍備に活躍)が招聘を受け上海に赴きます。ゼークトは蒋介石の上級顧問となり、6月には経済・軍事近代化計画を蒋介石に提出します。 蒋介石はゼークトの提案を受け入れ軍の近代化に着手します。ゼークトの提案は中国の対日戦略に言及しており、「中国は日本一国だけを敵とし、他のいかなる国とは親善関係を維持する」とし、「中国軍将兵に日本に敵愾心を持たせること」が必要としました。蒋介石は「藍衣社」を設立します。藍衣社は表向きは国民党支持団体であり。国民党の一党独裁を掲げる秘密結社ですが実態は蒋介石をトップとする諜報謀略機関でした。
メンバーは黄埔軍官学校(中華民国版陸軍士官学校)卒業生が中心でした。以前のCIAと考えていただけるとわかりやすいと思います。日本(軍)は藍衣社を認識していましたが、暴力的反日組織であり、諜報活動までする不思議な機関とされていました。ここで興味深いのは、藍衣社の中核組織である政治結社「三民主義力行社」が南京に設立されました。南京だけでいえば、日本軍が虐殺した現場ですが南京には藍衣社のほか中央士官学校、陸軍大学、化学戦学校、憲兵訓練学校、防空学校などがありました。現代の日本では横須賀といったところでしょうか。そうした場所で日本軍の占領下にあったとはいえ、中国の主張するような虐殺が起きたのか。そもそも起きるのか。真実は時の流れに埋もれてしまいましたが、当時の南京の事実として再認識すべきでしょう、
力行社は基本方針として日本と戦うには準備期間が必要とし、中共などの政敵を先に消滅させ、国内を安定させる蒋の「安内攘外」論を支持しました。そして、1937年に盧溝橋事件が起きるまでに蒋介石、国民党に反発する活動家やジャーナリストを次々と暗殺します。藍衣社のターゲットにされたのはほかに、日本に協力的な政治家も加えられました。さらに、藍衣社はゲリラ活動も活発に行い日本軍に大きなダメージを与えています。
ちなみに日本(軍)は中国とドイツの関係を知らなかったのかというと、知っていたのです。中国大陸で鹵獲したドイツのI号戦車が靖国神社に展示されたのです。こともあろうに、ソ連の戦車として展示していたそうです。
このような事実を中共はどう説明するのでしょう。まさか国民党政権のことだから…と逃げるのでしょうか。そのくらいは彼らは平気でやるでしょう。中共がそう出るなら、日本は中国ではなく国民党が逃げ込んで現在に至る台湾に謝罪すれば良いだけのことです。当時、中共は日本軍と正面では戦うことをせずひたすら兵力を温存していました。ろくなもんじゃねぇ!
もっと言えば、朝鮮は日本人待遇で中国大陸に乗り込み、中国人と摩擦を繰り返していました。彼らは旭日旗の威光を傘に着て威張り散らしていました。ろくなもんじゃねぇ!日本(人)はこの時代のことを深く学びません。当然、反論もできません。悲しむべき現実です。
PR
- +TRACKBACK URL+