元自衛官の憂い The third
軍事的色眼鏡で見る世界
軍人は究極の合理主義者です。
合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。
軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。
家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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07230956 | [PR] |
08071155 | 原爆投下は勝者の奢りだった |
1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の核攻撃が行われました。いわゆる〝戦略核攻撃〟です。
標的となったのは「民間人」であり「都市部」でした。
私は当時の日本政府、日本人がなぜ、非人道的兵器により非戦闘員が大量虐殺(ジェノサイド)だと、アメリカを非難しなかったのか納得できずにいます。
そして、こともあろうに反米感情ではなく、放射能・放射線をただ怖がるだけで終わらせてしまったのか。正しく学ぶ気がなぜなかったのか残念でなりません。
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07291531 | 五輪反対から転向する理由 |
7月23日東京五輪が始まりました。
私は五輪開催には反対でした。しかし、ここに開催賛成に転向します。
転向する理由は、日本人の健康問題ではなく政争の具となってしまっていること。
反対派はSNS等を使って声高に訴えていますが、このほとんどが左派であることは言うまでもありません。
そして、決定的だったのは開会式が行われていた周へんでデモが行われ(デモというよりは集まって騒いでいただけ)、逮捕者が出ました。逮捕された男は、中核派の活動家でした。
ここまでくると、日本人の健康問題ではなく完全なイデオロギー闘争です。
これは、絶対に避けなければならないことです。
人類の敵〝新型コロナウイルス〟と闘うべきときに、イデオロギー闘争など無意味です。
開会式でのデモは、動画を見ると大勢が密集して大声を出しているだけで、これでは感染を広める危険性を高めているだけにしか見えませんでした。
こんなことまでし反対する輩と同じに見られるのは心外です。
若い世代が共産党や中核派に何ら違和感すら抱いていなようですが、彼らはISISと何ら変わらないテロリスト集団です。
オウム真理教と同じく、ユルユルな日本のテロリストに免罪符を与てしまう悪しき慣習が、時間の経過と共に彼らの罪科を見えなくしてしまっているせいです。
これは、保守政権が左翼・野党勢力に配慮した結果でもあります。
ダメなものはダメと言わず、有耶無耶・曖昧にしてきたために起きていることです。
これは、不幸にも中韓外交にも同じことが言えます。
日本は曖昧さを捨て、何がダメ(国民の為にならない)で、何が良い(国民の為になる)のかを明確にし、国民に団結することの意義を再認識させる時です。
私は五輪開催には反対でした。しかし、ここに開催賛成に転向します。
転向する理由は、日本人の健康問題ではなく政争の具となってしまっていること。
反対派はSNS等を使って声高に訴えていますが、このほとんどが左派であることは言うまでもありません。
そして、決定的だったのは開会式が行われていた周へんでデモが行われ(デモというよりは集まって騒いでいただけ)、逮捕者が出ました。逮捕された男は、中核派の活動家でした。
ここまでくると、日本人の健康問題ではなく完全なイデオロギー闘争です。
これは、絶対に避けなければならないことです。
人類の敵〝新型コロナウイルス〟と闘うべきときに、イデオロギー闘争など無意味です。
開会式でのデモは、動画を見ると大勢が密集して大声を出しているだけで、これでは感染を広める危険性を高めているだけにしか見えませんでした。
こんなことまでし反対する輩と同じに見られるのは心外です。
若い世代が共産党や中核派に何ら違和感すら抱いていなようですが、彼らはISISと何ら変わらないテロリスト集団です。
オウム真理教と同じく、ユルユルな日本のテロリストに免罪符を与てしまう悪しき慣習が、時間の経過と共に彼らの罪科を見えなくしてしまっているせいです。
これは、保守政権が左翼・野党勢力に配慮した結果でもあります。
ダメなものはダメと言わず、有耶無耶・曖昧にしてきたために起きていることです。
これは、不幸にも中韓外交にも同じことが言えます。
日本は曖昧さを捨て、何がダメ(国民の為にならない)で、何が良い(国民の為になる)のかを明確にし、国民に団結することの意義を再認識させる時です。
07120913 | オリンピックを開催する必要はあるのか? |
個人的にはオリンピックを開催するべきではないと考えています。
SNS等でそうした意見を表明していましたが、ある時点で政争の具にされるようになり、極め付けは参加選手に〝辞退〟するよう求める開催反対派が現れ、私は開催反対であることを伏せるようになりました。開催を強行する政府も、それに反対する方も共に愚か過ぎるからです。
新型コロナパンデミックで、グダグダになっている日本政府がオリンピックの再延期など決断できるはずもありません。
そして、国民の生命・財産を論じるべきところを政争の具にする野党・リベラル派はオリンピック開催に反対はしても、その対案を全く出しません。小学校低学年以下です。これで、どちらかに与することなど私にはあり得ません。
不可解なのは、オリンピックを開催する『理由』を首相が我々国民に、全く説明していないことです。首相をはじめ、五輪相、組織委員長も「平和の祭典」「絆」だのと言って、開催すべき具体的理由を全く口にはしません。
唯一、まともなことを言っているのは、山口香JOC理事です。ちなみに山口氏は、コロナ禍の五輪開催に懸念し続けています。
「五輪は平和の祭典といわれますが、五輪をやったら世界が平和になるわけではない。平和に向かうために意見が異なる人とも対話して落とし所を探っていく。五輪が国民を置き去りにしたイベントになれば、そもそも誰のための五輪なのか」(朝日新聞6月23日付)
「平和の祭典」といわれるオリンピックですが、なぜ「平和の祭典」などといわれるようになったのか調べてみると、『古代オリンピック』期間中は、停戦協定が結ば開催地の周辺の全ての紛争が一時中断されたためだそうです。
そもそもが宗教的儀式でしたので、「停戦」もわかりますが、「平和」ではないことは間違いありません。古代オリンピックと近代オリンピックを同一視すること自体無理なのです。
近代オリンピックの歴史では、1916年ベルリン大会が第一次世界大戦で中止、1936年のベルリン大会ではヒトラーがオリンピックを利用したほか、第二次世界大戦で二度中止になっています。
近代オリンピックでは女性の参加は当たり前ですが、近代オリンピックを提唱したクーベルタンは「体力の劣る女性の参加はオリンピックの品位を下げることにつながる」として女性の参加には否定的でした。
これまでのように、オリンピックを崇め奉る必要があるのでしょうか?
日本政府は「安心安全」と一括りにしていますが、安心・安全とは全く別物です。
[安心とは心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこ]
[安全とは危険のないこと。平穏無事なこと。またその有り様]
以上のように安心は「主観的」なので、安全は「客観性」が必要なのです。それを同一次元で口にしても良いものなのか?
「できない」ことを「できる」と言って開催を強行しているのではないか。
これは、大多数の日本人がオリンピック開催を決めた政府に対し抱いている思いでしょう。
私には戦争に突き進んだかつての日本と重なって見えます。日米の国力差から、陸海軍部内からでさえ日米戦回避の声が上がっていたにもかかわらず、戦争に突き進んだ。「やってしまおう」という意識だけで戦争を始めてしまった日本と全く同じです。
せめて、「バックアッププラン」を立てていれば救われますが、日本人はバックアッププランを計画に盛り込むことを殊更嫌います。
その理由は、計画が失敗することを前提としているように見られるため、ひいては評価に大きく影響するためバックアッププランを用意しません。
これが、危機管理できない日本人を作っています。
オリンピックを「やってしまおう」だけで本当に開催して良いのか?
今回のオリンピックが、かつての戦争のように日本を焦土としないことを願ってやみません。
SNS等でそうした意見を表明していましたが、ある時点で政争の具にされるようになり、極め付けは参加選手に〝辞退〟するよう求める開催反対派が現れ、私は開催反対であることを伏せるようになりました。開催を強行する政府も、それに反対する方も共に愚か過ぎるからです。
新型コロナパンデミックで、グダグダになっている日本政府がオリンピックの再延期など決断できるはずもありません。
そして、国民の生命・財産を論じるべきところを政争の具にする野党・リベラル派はオリンピック開催に反対はしても、その対案を全く出しません。小学校低学年以下です。これで、どちらかに与することなど私にはあり得ません。
不可解なのは、オリンピックを開催する『理由』を首相が我々国民に、全く説明していないことです。首相をはじめ、五輪相、組織委員長も「平和の祭典」「絆」だのと言って、開催すべき具体的理由を全く口にはしません。
唯一、まともなことを言っているのは、山口香JOC理事です。ちなみに山口氏は、コロナ禍の五輪開催に懸念し続けています。
「五輪は平和の祭典といわれますが、五輪をやったら世界が平和になるわけではない。平和に向かうために意見が異なる人とも対話して落とし所を探っていく。五輪が国民を置き去りにしたイベントになれば、そもそも誰のための五輪なのか」(朝日新聞6月23日付)
「平和の祭典」といわれるオリンピックですが、なぜ「平和の祭典」などといわれるようになったのか調べてみると、『古代オリンピック』期間中は、停戦協定が結ば開催地の周辺の全ての紛争が一時中断されたためだそうです。
そもそもが宗教的儀式でしたので、「停戦」もわかりますが、「平和」ではないことは間違いありません。古代オリンピックと近代オリンピックを同一視すること自体無理なのです。
近代オリンピックの歴史では、1916年ベルリン大会が第一次世界大戦で中止、1936年のベルリン大会ではヒトラーがオリンピックを利用したほか、第二次世界大戦で二度中止になっています。
近代オリンピックでは女性の参加は当たり前ですが、近代オリンピックを提唱したクーベルタンは「体力の劣る女性の参加はオリンピックの品位を下げることにつながる」として女性の参加には否定的でした。
これまでのように、オリンピックを崇め奉る必要があるのでしょうか?
日本政府は「安心安全」と一括りにしていますが、安心・安全とは全く別物です。
[安心とは心が安んじること。気がかりなことがなくて、心が落ち着くこ]
[安全とは危険のないこと。平穏無事なこと。またその有り様]
以上のように安心は「主観的」なので、安全は「客観性」が必要なのです。それを同一次元で口にしても良いものなのか?
「できない」ことを「できる」と言って開催を強行しているのではないか。
これは、大多数の日本人がオリンピック開催を決めた政府に対し抱いている思いでしょう。
私には戦争に突き進んだかつての日本と重なって見えます。日米の国力差から、陸海軍部内からでさえ日米戦回避の声が上がっていたにもかかわらず、戦争に突き進んだ。「やってしまおう」という意識だけで戦争を始めてしまった日本と全く同じです。
せめて、「バックアッププラン」を立てていれば救われますが、日本人はバックアッププランを計画に盛り込むことを殊更嫌います。
その理由は、計画が失敗することを前提としているように見られるため、ひいては評価に大きく影響するためバックアッププランを用意しません。
これが、危機管理できない日本人を作っています。
オリンピックを「やってしまおう」だけで本当に開催して良いのか?
今回のオリンピックが、かつての戦争のように日本を焦土としないことを願ってやみません。
06131838 | コロナ禍で求められるリーダーシップ |
新型コロナウイルス感染症パンデミックは、これまで見えていなかったものが見えるようになりました。感染拡大から1年が経過し、ワクチン開発、接種と進んでいますが、いまだに先はまったく見通せていません。
有事のリーダーは、慎重かつ大胆な決断が求められます。慎重かつ大胆な決断を実践できるかどうか、これこそが今求められているリーダーです。
現在の日本のリーダーはというと、残念ながらどちらも備わってはいません。
新型コロナウルス感染症が世界に広まりを見せようとしていた時、ある決断を下したリーダーに注目すべき二人に注目すべきだと思います。
アダム・シルバー
アメリカ合衆国の法律家で、プロバスケットボールNBAコミッショナーです。
ジャシンダ・アーダーン
ニュージーランドの政治家で、ニュージーランド労働党党首。ニュージランド首相です。
この二人こそ、新型コロナウイルス感染症パンデミックで見せてくれたリーダーのあるべき姿をまざまざと見せつけてくれました。
コロナウイルス感染拡大はリーダーにとって、途方もない負担を強いられています。だからといって、リーダーシップを発揮できない状況だと考えるのは間違いです。
アダム・シルバーは昨年3月11日の時点で、NBAのリーグ中断を決めました。新型コロナウイルスがどう広まるか、どのような結果を招くのかまったくわからない状況下で決断を下したのです。偶然にも、3月11日はWHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスが「パンデミック」と公式に宣言した日でもあります。
リーダーとしては、状況がハッキリするまで決断・行動を先延ばしにしてしまいます。これは、人間の本能とマネジメント(組織に成果を上げさせるために必要な道具、機能を整えること)から、当然、先延ばしにしてしまいます。
それが、脅威を軽視したりするため、間違った対応を組織にさせてしまい、組織に不安を広げさせないために仕方のないことではあります。
コロナ・パンデミック下では、有事のリーダーシップが求められます。脅威度が明らかになるまで対応を先延ばしにし、危機管理上、対応に後れが出てしまいます。それが安倍前首相であり、菅首相です。
有事のリーダーは、緊急性を理解し正直にかつ反復し対応をすることが求められます。間違いは避けなければなりませんが、対応に誤りがあれば責任の追及ではなく、軌道をどう修正するかを心がけなければなりません。
アダム・シルバーのNBAリーグ中断は、感染回避だけでなくホッケー(NHL)、メジャーリーグ(MLB)など複数のスポーツの停止決断をももたらしました。
NBAは2019年に80億ドル超を稼ぎ出しましたが、それをリーダーが決断するのはとても勇気のいることであったはずです。その決断に人々は動かされたのです。
先が見えない状況で決断した政治家として、アーダーン首相が挙げられます。
昨年3月21日、パンデミックに備える対応を示しました。
アーダーン首相はこの日、国民にテレビ演説を行い、新型コロナウイルス警戒システムを発表しました。
アーダーン首相の優れているのは、この警戒システムはニュージーランド国内で運用されている火災危険度システムをモデルとしたもので、国民にとって馴染みのあるものでした。感染拡大により政府がどう対応を進めるか、国民に政府が何を求めるのか明確にされていました。
ニュージーランドでは、アーダーン首相が対応の公式発表をした時点で感染確認数は52件、警戒レベル2が発動されていました。移動の一部制限、接触機会を減らす要請が出されました。
4日後、感染確認数が205件なりレベル4に引き上げられ、全国的なロッカダウンが実施されました。
日本ではこの時期、何も決められていません。唯一、決められたものは小中高の一斉休校だけでした。推測ではありますが、規制を強いて国民の支持が得られるか心配していた状況だったのでしょう。
強い規制を行ったアーダーン首相は支持率が80%を超えましたが、これはアーダーン首相が明示した警戒レベルを国民が理解していたこと、そして国民は感染拡大を抑制するのに、何が求められているかを理解できたいことが挙げられます。
アーダーン首相は正直であり思いやりがあり、国民の日常生活に犠牲を強いることを認め、ともに耐えて前進するという方向性を国民に持たせたことが最大の功績でしょう。
「どうか強く、優しくなってください。そして新型コロナウイルス感染症(Covid-19)に、団結して立ち向かいましょう」とアーダーン首相は国民に向けて語りかけました。
コロナ禍で求められるリーダーシップは、初期段階で問題の性質を認識できているかということに尽きるでしょう。先が見えない=脅威が不明瞭だという点でリーダーは迷うことになります。
ここで問題になるのは、人間は「脅威」は小さいものであって欲しいという願望が働きます。この願望でリーダーの行動は、実際に「脅威」は小さいものであるかのように行動してしまいます。
日本では東日本大震災(巨大津波)・原発事故と国難に、リーダーは迷走しました。国民から批判が強まると、これに乗っかるように自民党(安倍前首相)は民主党を批判。自民党が返り咲く結果となりました。
学ぶべきチャンスはあったものの、「自分たちは違う」という慢心が自民党にあったのでしょう。震災時の民主党と同じ「順調だと安請け合い」し「楽観的メッセージを発する」という愚かな行動に出ました。
安倍前首相・菅首相に欠けているものは何か。
●緊急行動ができない
不明瞭な脅威であるため、不充分な情報であるにもかかわらず「明確」であると誤った判断を下してしまいます。
決断(意思決定)を先送りにするリスクはわからないままですが、危機的状況であればあるほど、「明確になれば対処を決める」という希望にすがろうとします。貴重な時間を無駄にするだけです。
不充分な情報で行動することは、火中の栗を拾うことです。
●透明性のメッセージを伝える
悪いニュースを伝えることは、リーダーとしては避けたいことです。組織の士気を低下させ、支持率まで下げてしまいます。
このリスクを避けるには、透明性のあるコミュニケーションが必要となります。
アーダーン首相は、「この急激な変化のすべてが、不安と不確実性を生むことを私は理解しています。私たちの生活様式が変わるのですから、当然です。だからこそ今日は、方針を可能な限り明確にお話しします。一致団結してウイルスとの闘いを続けるうえで、皆さんが何を想定しておくべきかを」国民に語りかけました。
アーダーン首相は定期的に国民に語りかけており、自宅での映像も公開されています。
シルバーも時間の経過とともに、全チームにメッセージが送りました。
「透明性のあるメッセージ」とは、現実を正直・正確に伝達することです。何を知っており、未来をどう予測しているのか、それが組織にとって何を意味するのか、それらを明確に伝達することです。
当たり前のように、事態が収束してしばらく経ってから、「パニックになるのを恐れ」と当時のリーダーは語りますが、これは自分の能力の無さを認めない言い訳です。
真実だけを伝えるのは、組織を自暴自棄にさせ避けなければならないことです。しかし、真実と希望を持たせる将来の展望を含めなければなりません。
●過ちには認め、建設的な対応に切り替える
失敗が明らかになった場合、リーダーは後ろ向きな自己弁護、非難することは避けるべきことです。
目標(コロナ感染抑制)への集中を維持させ、次に差し迫る問題解決に取り組むため、先を見越さなければなりません。
シルバーに対し、ニューヨーク市長が全米でコロナウイルス検査が受けられない状況であるのに、NBA選手らが検査を受けられたことに「不公平」だと批判しました。シルバーは、これを批判が正当であることを認めながらも、根本的問題は「検査の不足」であることを強調しました。
「もちろん、デブラシオ市長のお考えはわかります。そして、検査がトリアージ(症状などに応じて優先順位づけ)されているというこの社会の現状は残念です。つまり、根本的な問題は明らかに、検査が十分ではないということです」
どのような失敗への対応に重要なのは、聞く耳を持ち、それを認め、組織を問題解決に向かわせることです。
●最新情報を常に更新する
リーダーは洋の東西を問わず、決められている方針を貫くという錯覚があります。
確かに方針を揺るがすことは、最も重要なことではありますが、情報を基にして判断(対応)をしていくことが重要です。
最新情報は専門家から引き出すべきですが、様々な立場の専門家を集めること。ウイルス感染症ですから、医学・医療関係者を集めるのは当然ですが、アドバイザーは多方面から集めることが重要です。
脅威が不明瞭であれば、アドバイザーを時間の経過とともに入れ替えることも必要です。
権力中枢に座る者にとって、これまでの経験上、大きな苦難弥喪失を経験してきていることでしょう。
リーダーは理性的で冷静に、個人的感情を持ち込まず、好機を待っていると主張することでしょう。
シルバーやアーダーン首相は、真逆の対応を続けました。他者の身になり、他者の胸中を感じ取り、共感を持って導くことに徹しました。
残念なことですが、日本のリーダーはこれらをまったくできていません。基本は支持率アップだけ。強く明確な話をすることで、支持率アップにつなげようとする胸算用が働いています。
国民(組織)あってのトップだという事実を理解していないことが、最も重要な事実ですが、国民(組織)はこれを理解し批判する勇気を持たないと、国民の生命・財産が無大に失われ続けることだけは確かです。
有事のリーダーは、慎重かつ大胆な決断が求められます。慎重かつ大胆な決断を実践できるかどうか、これこそが今求められているリーダーです。
現在の日本のリーダーはというと、残念ながらどちらも備わってはいません。
新型コロナウルス感染症が世界に広まりを見せようとしていた時、ある決断を下したリーダーに注目すべき二人に注目すべきだと思います。
アダム・シルバー
アメリカ合衆国の法律家で、プロバスケットボールNBAコミッショナーです。
ジャシンダ・アーダーン
ニュージーランドの政治家で、ニュージーランド労働党党首。ニュージランド首相です。
この二人こそ、新型コロナウイルス感染症パンデミックで見せてくれたリーダーのあるべき姿をまざまざと見せつけてくれました。
コロナウイルス感染拡大はリーダーにとって、途方もない負担を強いられています。だからといって、リーダーシップを発揮できない状況だと考えるのは間違いです。
アダム・シルバーは昨年3月11日の時点で、NBAのリーグ中断を決めました。新型コロナウイルスがどう広まるか、どのような結果を招くのかまったくわからない状況下で決断を下したのです。偶然にも、3月11日はWHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスが「パンデミック」と公式に宣言した日でもあります。
リーダーとしては、状況がハッキリするまで決断・行動を先延ばしにしてしまいます。これは、人間の本能とマネジメント(組織に成果を上げさせるために必要な道具、機能を整えること)から、当然、先延ばしにしてしまいます。
それが、脅威を軽視したりするため、間違った対応を組織にさせてしまい、組織に不安を広げさせないために仕方のないことではあります。
コロナ・パンデミック下では、有事のリーダーシップが求められます。脅威度が明らかになるまで対応を先延ばしにし、危機管理上、対応に後れが出てしまいます。それが安倍前首相であり、菅首相です。
有事のリーダーは、緊急性を理解し正直にかつ反復し対応をすることが求められます。間違いは避けなければなりませんが、対応に誤りがあれば責任の追及ではなく、軌道をどう修正するかを心がけなければなりません。
アダム・シルバーのNBAリーグ中断は、感染回避だけでなくホッケー(NHL)、メジャーリーグ(MLB)など複数のスポーツの停止決断をももたらしました。
NBAは2019年に80億ドル超を稼ぎ出しましたが、それをリーダーが決断するのはとても勇気のいることであったはずです。その決断に人々は動かされたのです。
先が見えない状況で決断した政治家として、アーダーン首相が挙げられます。
昨年3月21日、パンデミックに備える対応を示しました。
アーダーン首相はこの日、国民にテレビ演説を行い、新型コロナウイルス警戒システムを発表しました。
アーダーン首相の優れているのは、この警戒システムはニュージーランド国内で運用されている火災危険度システムをモデルとしたもので、国民にとって馴染みのあるものでした。感染拡大により政府がどう対応を進めるか、国民に政府が何を求めるのか明確にされていました。
ニュージーランドでは、アーダーン首相が対応の公式発表をした時点で感染確認数は52件、警戒レベル2が発動されていました。移動の一部制限、接触機会を減らす要請が出されました。
4日後、感染確認数が205件なりレベル4に引き上げられ、全国的なロッカダウンが実施されました。
日本ではこの時期、何も決められていません。唯一、決められたものは小中高の一斉休校だけでした。推測ではありますが、規制を強いて国民の支持が得られるか心配していた状況だったのでしょう。
強い規制を行ったアーダーン首相は支持率が80%を超えましたが、これはアーダーン首相が明示した警戒レベルを国民が理解していたこと、そして国民は感染拡大を抑制するのに、何が求められているかを理解できたいことが挙げられます。
アーダーン首相は正直であり思いやりがあり、国民の日常生活に犠牲を強いることを認め、ともに耐えて前進するという方向性を国民に持たせたことが最大の功績でしょう。
「どうか強く、優しくなってください。そして新型コロナウイルス感染症(Covid-19)に、団結して立ち向かいましょう」とアーダーン首相は国民に向けて語りかけました。
コロナ禍で求められるリーダーシップは、初期段階で問題の性質を認識できているかということに尽きるでしょう。先が見えない=脅威が不明瞭だという点でリーダーは迷うことになります。
ここで問題になるのは、人間は「脅威」は小さいものであって欲しいという願望が働きます。この願望でリーダーの行動は、実際に「脅威」は小さいものであるかのように行動してしまいます。
日本では東日本大震災(巨大津波)・原発事故と国難に、リーダーは迷走しました。国民から批判が強まると、これに乗っかるように自民党(安倍前首相)は民主党を批判。自民党が返り咲く結果となりました。
学ぶべきチャンスはあったものの、「自分たちは違う」という慢心が自民党にあったのでしょう。震災時の民主党と同じ「順調だと安請け合い」し「楽観的メッセージを発する」という愚かな行動に出ました。
安倍前首相・菅首相に欠けているものは何か。
●緊急行動ができない
不明瞭な脅威であるため、不充分な情報であるにもかかわらず「明確」であると誤った判断を下してしまいます。
決断(意思決定)を先送りにするリスクはわからないままですが、危機的状況であればあるほど、「明確になれば対処を決める」という希望にすがろうとします。貴重な時間を無駄にするだけです。
不充分な情報で行動することは、火中の栗を拾うことです。
●透明性のメッセージを伝える
悪いニュースを伝えることは、リーダーとしては避けたいことです。組織の士気を低下させ、支持率まで下げてしまいます。
このリスクを避けるには、透明性のあるコミュニケーションが必要となります。
アーダーン首相は、「この急激な変化のすべてが、不安と不確実性を生むことを私は理解しています。私たちの生活様式が変わるのですから、当然です。だからこそ今日は、方針を可能な限り明確にお話しします。一致団結してウイルスとの闘いを続けるうえで、皆さんが何を想定しておくべきかを」国民に語りかけました。
アーダーン首相は定期的に国民に語りかけており、自宅での映像も公開されています。
シルバーも時間の経過とともに、全チームにメッセージが送りました。
「透明性のあるメッセージ」とは、現実を正直・正確に伝達することです。何を知っており、未来をどう予測しているのか、それが組織にとって何を意味するのか、それらを明確に伝達することです。
当たり前のように、事態が収束してしばらく経ってから、「パニックになるのを恐れ」と当時のリーダーは語りますが、これは自分の能力の無さを認めない言い訳です。
真実だけを伝えるのは、組織を自暴自棄にさせ避けなければならないことです。しかし、真実と希望を持たせる将来の展望を含めなければなりません。
●過ちには認め、建設的な対応に切り替える
失敗が明らかになった場合、リーダーは後ろ向きな自己弁護、非難することは避けるべきことです。
目標(コロナ感染抑制)への集中を維持させ、次に差し迫る問題解決に取り組むため、先を見越さなければなりません。
シルバーに対し、ニューヨーク市長が全米でコロナウイルス検査が受けられない状況であるのに、NBA選手らが検査を受けられたことに「不公平」だと批判しました。シルバーは、これを批判が正当であることを認めながらも、根本的問題は「検査の不足」であることを強調しました。
「もちろん、デブラシオ市長のお考えはわかります。そして、検査がトリアージ(症状などに応じて優先順位づけ)されているというこの社会の現状は残念です。つまり、根本的な問題は明らかに、検査が十分ではないということです」
どのような失敗への対応に重要なのは、聞く耳を持ち、それを認め、組織を問題解決に向かわせることです。
●最新情報を常に更新する
リーダーは洋の東西を問わず、決められている方針を貫くという錯覚があります。
確かに方針を揺るがすことは、最も重要なことではありますが、情報を基にして判断(対応)をしていくことが重要です。
最新情報は専門家から引き出すべきですが、様々な立場の専門家を集めること。ウイルス感染症ですから、医学・医療関係者を集めるのは当然ですが、アドバイザーは多方面から集めることが重要です。
脅威が不明瞭であれば、アドバイザーを時間の経過とともに入れ替えることも必要です。
権力中枢に座る者にとって、これまでの経験上、大きな苦難弥喪失を経験してきていることでしょう。
リーダーは理性的で冷静に、個人的感情を持ち込まず、好機を待っていると主張することでしょう。
シルバーやアーダーン首相は、真逆の対応を続けました。他者の身になり、他者の胸中を感じ取り、共感を持って導くことに徹しました。
残念なことですが、日本のリーダーはこれらをまったくできていません。基本は支持率アップだけ。強く明確な話をすることで、支持率アップにつなげようとする胸算用が働いています。
国民(組織)あってのトップだという事実を理解していないことが、最も重要な事実ですが、国民(組織)はこれを理解し批判する勇気を持たないと、国民の生命・財産が無大に失われ続けることだけは確かです。
05061922 | コロナで見える真実 ❶ |
前もってお断りしておくが、私は「保守」系ではあるが、支持政党は無い。
しかし、政府(自民党)の新型コロナウイルスの対応には、ほとほと嫌気が差している。
菅直人民主党政権に多くの国民が避難した。非難というよりも、国民の「憎悪」だったようにさえ感じた。政権が交代があり、自民党に政権は返ると、今度は政権の座に就いた安倍晋三前首相が「悪夢の民主党政権」だと繰り返した。
ようするに〝民主党には政権を担うだけの能力が無い〟と言いたかったのだろう。
震災・原発事故対応を検証しないまま、事あるごとに「悪夢の民主党政権」と口にする首相の姿は、私には滑稽に映った。
自民党支持者というよりも、安倍晋三という人間の放つ強い言葉に、国民は騙されてしまっていく。
「戦後最悪の国難」とまで言われながら、政治は挙国一致内閣を作り上げ、政治と国民が一体となって大災害に立ち向かうことすらしなかった。
「悪夢の民主党政権」とまで言い切ったのであるから、自民党・安倍晋三は検証すべきだったが、それを全くしなかった。裏を返せば、政権の座に就くことができさえすれば、民主党政権などどうでもよかったのだ。集票のための言葉だったのだ。
当時を思い返すと、非難は行き過ぎていた。(個人的には菅元首相のボーンヘッドだと認識している)震災翌日の原発視察に行くと、「最高責任者が官邸を離れた」と非難が殺到。自衛隊を10万人投入すると、「国防を知らない首相のパフォーマンス」、東京電力に乗り込み政府との統合対策本部を設置すると「官邸の過剰な介入」と非難された。避難所を訪れれば、避難者から怒声が上がり、異様な雰囲気が日本を包み込んだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が伝えられると、私は日本政府の対応を注視していたが、安倍自民党政権は習近平の国賓待遇での訪日にこだわり、中国からの渡航制限をするのが完全に遅れてしまった。
仕事の関係で、昨年の2月以降、羽田空港で仕事をしていたが、国際線ターミナルには「群馬」や「栃木」ナンバーの中国人が運転する車がたくさんあった。
観光であれば、バスをチャーターしての移動となるので、初めて見る光景だった。第一ターミナル、第二ターミナルにいても、迷った中国人に国際線ターミナルへの行き方を尋ねられた。
後にわかったのは、中国人は日本に在住する親戚・知人を頼って避難していたのだ。
3度目の緊急事態宣言が出されたが、これがまた延長されるようだ。
初めて出されて以来、全く中身は変わっていない。「外出自粛」「飲食店営業短縮」と、一年という月日が流れ、積み重ねられたはずの知識や経験が全く活かされていない。国民に我慢を強いるだけで、何ら新しいことが全く無い。
傑作なのは、ネオンサインを消す「灯火管制」、酒類の提供禁止「禁酒令」まで出した。
説明するまでもないが、1回目の緊急事態宣言の延長線上にあるものだ。これで、国民が納得するかとどうか…それすら考えられていない。
まだまだある。感染拡大で医療資源が逼迫しているにもかかわらず、組織委員会は平然と日本看護協会に看護師の派遣を要請した。これはもう非常識というほかない。
オリンピックを優先するため、選手の検査体制の強化なども決められたが、受け入れる側の国民はどうかといえば、ワクチン接種などいつになる皆目検討もつかない有り様だ。
個人的にはオリンピックは開催権を返上し、コロナを克服できた段階で記念大会を行いたいと打診すべきと考える。
ミリタリーに関わった人間として言わせてもらえば、自民党も民主党と同じく何もできない政党でしかない。
しかし、政府(自民党)の新型コロナウイルスの対応には、ほとほと嫌気が差している。
菅直人民主党政権に多くの国民が避難した。非難というよりも、国民の「憎悪」だったようにさえ感じた。政権が交代があり、自民党に政権は返ると、今度は政権の座に就いた安倍晋三前首相が「悪夢の民主党政権」だと繰り返した。
ようするに〝民主党には政権を担うだけの能力が無い〟と言いたかったのだろう。
震災・原発事故対応を検証しないまま、事あるごとに「悪夢の民主党政権」と口にする首相の姿は、私には滑稽に映った。
自民党支持者というよりも、安倍晋三という人間の放つ強い言葉に、国民は騙されてしまっていく。
「戦後最悪の国難」とまで言われながら、政治は挙国一致内閣を作り上げ、政治と国民が一体となって大災害に立ち向かうことすらしなかった。
「悪夢の民主党政権」とまで言い切ったのであるから、自民党・安倍晋三は検証すべきだったが、それを全くしなかった。裏を返せば、政権の座に就くことができさえすれば、民主党政権などどうでもよかったのだ。集票のための言葉だったのだ。
当時を思い返すと、非難は行き過ぎていた。(個人的には菅元首相のボーンヘッドだと認識している)震災翌日の原発視察に行くと、「最高責任者が官邸を離れた」と非難が殺到。自衛隊を10万人投入すると、「国防を知らない首相のパフォーマンス」、東京電力に乗り込み政府との統合対策本部を設置すると「官邸の過剰な介入」と非難された。避難所を訪れれば、避難者から怒声が上がり、異様な雰囲気が日本を包み込んだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が伝えられると、私は日本政府の対応を注視していたが、安倍自民党政権は習近平の国賓待遇での訪日にこだわり、中国からの渡航制限をするのが完全に遅れてしまった。
仕事の関係で、昨年の2月以降、羽田空港で仕事をしていたが、国際線ターミナルには「群馬」や「栃木」ナンバーの中国人が運転する車がたくさんあった。
観光であれば、バスをチャーターしての移動となるので、初めて見る光景だった。第一ターミナル、第二ターミナルにいても、迷った中国人に国際線ターミナルへの行き方を尋ねられた。
後にわかったのは、中国人は日本に在住する親戚・知人を頼って避難していたのだ。
3度目の緊急事態宣言が出されたが、これがまた延長されるようだ。
初めて出されて以来、全く中身は変わっていない。「外出自粛」「飲食店営業短縮」と、一年という月日が流れ、積み重ねられたはずの知識や経験が全く活かされていない。国民に我慢を強いるだけで、何ら新しいことが全く無い。
傑作なのは、ネオンサインを消す「灯火管制」、酒類の提供禁止「禁酒令」まで出した。
説明するまでもないが、1回目の緊急事態宣言の延長線上にあるものだ。これで、国民が納得するかとどうか…それすら考えられていない。
まだまだある。感染拡大で医療資源が逼迫しているにもかかわらず、組織委員会は平然と日本看護協会に看護師の派遣を要請した。これはもう非常識というほかない。
オリンピックを優先するため、選手の検査体制の強化なども決められたが、受け入れる側の国民はどうかといえば、ワクチン接種などいつになる皆目検討もつかない有り様だ。
個人的にはオリンピックは開催権を返上し、コロナを克服できた段階で記念大会を行いたいと打診すべきと考える。
ミリタリーに関わった人間として言わせてもらえば、自民党も民主党と同じく何もできない政党でしかない。