元自衛官の憂い The third
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10052026 | [PR] |
10211848 | おねだり! |
「ねだる」とは、甘えたり、無理に頼み込んで欲しいものを請い求めること。せがむ、せびる。
難くせをつけて要求する。ゆする。
朝日新聞は世界に恥をさらしましたが、朝日新聞だけでなく日本の左翼思想家たちは、自己の主張を正当化するために何でも平気でやってのけます。
60、70年代には左翼思想家たちは暴力を用いて〝革命〟を起こそうとしましたが、その暴力でどれほどの犠牲が出たか私たちは記憶にさえ留めようとさえしていません。
その代わりに、彼らの主張を容認さえしている現実があります。不幸なことですが、戦後すぐから左翼思想家たちの暴力行為は数多く存在しており、そうした事実を記憶から消し去ったことは私たちに大きな災禍を招くことになるのではないでしょうか。
「憲法9条にノーベル平和賞を」とおねだり団体が存在しています。
発起人は〝普通の主婦〟を自称するプロ市民であり、協賛しているのは左翼、半島の協力者など冗談でも平和を望む集団だとは言えません。
ネット上で流れているものですので信憑性に問題がないとは言えません。しかし、憲法9条にノーベル平和賞が授与されるに相応しいものであるか考えてみます。
まず、平和とは棚から牡丹餅で口に入るものではありません。
「平和」とは相争う国家・集団が、直接的な衝突を避ける努力を積み重ね衝突を回避し得るものです。これは、世界の常識です。
憲法9条があるから平和だとは誰にも説得できませんし、納得できるものではありません。
憲法9条があったから日本が平和というのは、幻想であり宗教です。
平和をここまで貶めるのは日本人だけでしょう。
責任はこうした恣意的集団だけではありません、こうした集団の主張をフィルタリングせず垂れ流すメディアにも責任があります。
憲法9条にノーベル平和賞をおねだりする会のコメントは最高です。
『ノーベル平和賞は個人か団体に贈られるものなので、憲法は対象ではありません。しかし、EUが団体としてノーベル平和賞を受賞出来るなら、憲法前文から始まり基本的人権の尊重と徹底した戦争放棄を謳った憲法九条を戦後70年近く保持している日本国民も団体としてノーベル平和賞を受賞出来る可能性はあるのではないでしょうか』
EUの歴史を学んでいないようです。第一次世界大戦以降、ヨーロッパ各国の平和への努力を考えれば、憲法で日本が平和だったと言えないことは明白です。
それだけではありません。
戦争放棄を謳っている憲法を持つ国は日本だけではありません。すでに数十ヶ国が戦争放棄を憲法で謳っており、日本だけではないのです。
世界的平和を訴えたのは「パリ不戦条約」が最初です。
パリ不戦条約は1928年に署名されました。国際紛争を解決する手段として、締約国相互の戦争を放棄するというものでした。これにより、自衛戦争以外の戦争は違法化されたのです。
余談ですが、かつての戦争が自衛戦争だと主張する極右に属する思想を持つ人たちは、パリ不戦条約の存在を知っているから「自衛戦争」だと主張している可能性があります。つまり、日本の戦争行為は「違法ではない」と言っているのです。
第1条
締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する
日本では立憲君主制であったため、「人民の名において」という部分は認められないとしながらも、条約を批准します。
ですが、この第1条をよく読んでください。日本国憲法第9条に似ていると思いませんか?
これこそ、憲法9条の手本となったものなのです。
おねだりする会では、本家の存在さえ知らないのでしょう。パクった憲法でノーベル平和賞をおねだりし、本家など完全に無視です。半島や大陸の人たちに似ています。
いかがでしょうか。いかに彼らが正当な主張をしていると訴えようとも、それは真っ赤なウソなのです。オレオレ詐欺と同じです。どれほどの賛同者を得ようとも、それは歴史を学ばない浅薄な思考からの行動であり、国際常識からは大きく外れたものなのです。
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