元自衛官の憂い The third
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08091102 | フロイド・シュモーを知っていますか? |
アメリカの森林学者・自然学者・著述家であり、クエーカー教徒の平和主義者です。日本ではほとんど知られていませんが、20世紀を代表する平和活動家です。
我々が知るべきは、第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人への支援、戦後は広島の復興支援に当たったことです。
シュモーは1895年生まれ。日本では明治28年になります。1914年に開戦した第一次世界大戦では、自身の信条から良心的兵役拒否を実行し、赤十字に参加してフランスでの救急車のドライバーや救護員として活動しました。
戦中はポーランド救済委員会の指示でポーランド難民への食糧や衣料の配送をしました。
戦後は故郷に戻り、高校時代の同級生であったピアニストであったルスと結婚します。
1919年ワシントン大学で森林学と海洋学を学び、ルス夫人はピアノを続けました。
第二次世界大戦が始まるとユダヤ人の避難の援助、食糧・衣料などを提供。真珠湾攻撃で日米が開戦し、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、アメリカ国内にいた日系人の強制収容が始まりました。
1942年、強制収容された日系人を援助する目的で教職を辞したシュモーですが、当時のFBIの資料には〝狂信的平和主義者〟と書かれていたそうです。
第二次世界大戦終結が近づき、フロイドの娘は日系アメリカ人と結婚します。
シュモーは原爆が投下されたことを知ると、ナチスによるユダヤ人虐殺に匹敵する蛮行だと大統領に抗議電報を送るほどだったそうです。シュモーは被爆者のために家屋建設支援を決断し、1口1ドルの寄付を募り全米各地を回ります。
1948年、占領軍の許可が取れ来日します。翌年、シュモー、アンドリウス牧師、デイジー・デイブス氏、ルース・ジェンキンズ氏ら日本人ボランティアが加わり広島市が提供した土地に家屋を建て始めました。
2か月後に4戸の住宅が完成し、その後20戸にまで増え、長崎、朝鮮戦争が終結し韓国でも住宅を建設します。
シュモーは自分の名前が付けられることを拒否し、「平和住宅」として入居者の公募が行われたそうです。
朝鮮戦争、アフリカ難民、中東難民などに支援を続け、シュモーの働きかけによりシアトル市にシアトル・ピース・パークが建設されサダコ像が置かれます。
ノーベル平和賞に3回候補になりましたが受賞せず、日本は1982年になりようやく叙勲を受けました(勲四等瑞宝章)。翌83年に広島特別名誉市民となりました。余談ですが、日本焦土化作戦を実行したカーチス・ルメイは勲一等旭日章を贈られています。
我々日本人でも知られていない名ですが、彼はFBIの監視対象であり、平和活動から殺害の脅迫なども数多くあったと伝えられています。
原爆投下は許せないことではありますが、それに反発し平和活動に没頭したアメリカ人が居たことも事実として我々は未来に伝えていかなければならないのではないでしょうか。
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