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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/28/04:02

08100731 歴史から学ぶべき

広島、長崎と原爆の日を迎えました。

大袈裟かもしれませんが、戦争の惨禍、大災害に直面すると生き残った我々は、その時の恐怖から逃れることを優先して来たために、大きな過ちを犯しているような気がします。乗り越えようとせず、ただいたずらに忘れることを優先させて来ました。

忘れようとすることは、善悪で片付けられるものではありません。善悪で判定できるものであれば、これほど楽なことはないでしょう。犠牲者への贖罪から生まれる感覚なのかもしれません。ただ、同じ恐怖を思い出したくないがための感覚かもしれません。当然、犯罪でもなければ、良識の問題でもない。単純に表現すれば、ただひたすら厄介な問題です。

東日本大震災後、「風化」が叫ばれ一時は問題視されました。

とても恐ろしいことです。あの被害の大きさを風化=忘れるというのは。

あの日、あの時、巨大な津波が襲った場所に居たというだけで、命を失い、生き延びても親兄弟姉妹、友人、知人を亡くされた方がどれほど居たでしょうか。そこに居合わせず、被災しなかった多くの人が、忘れて良いのでしょうか。

震災後、地球温暖化の影響と言われる大雨が各地を襲うようになりました。被災地の皆さんは、 「こんな事は初めてだ」と口されます。

ここが、被災しなかった我々への重要なメッセージではないでしょうか。

「いつ何時、被災者になるか 油断できないぞ」と言われているように感じます。

被災者にならなかったのは神のいたずらか、ただの偶然なのかはわかりません。

北朝鮮のミサイルに対する脅威が、日々現実のものとなっています。もう天災だけでなく、七十数年の時を経て、再び日本人の頭上に戦災が降り注ごうとしています。

戦災がどこに降り注がれるかは、誰にもわかりません。

今がチャンスではないでしょうか。全てを振り返り、他人事ではなく自分の物として捉え直し、事実をきちんと昇華させるべきだと学び取るのです。

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