忍者ブログ

元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

07310151 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :07/31/01:51

08081036 長崎への原爆投下

 長崎に原爆が投下されたのは昭和201945)年89日午前1102分のことです。

 前に、長崎への原爆投下は「誤爆」の可能性をお話ししましたが、実は地図上で円を描くと「誤爆」は現実だったことがわかります。


拍手[0回]





 長崎へ原爆を投下したのは、当初は「小倉」を投下目標としていましたが、気象条件が適しておらず、第2目標であった長崎への向かったのがそもそもの間違いの始まりでした。

 原爆投下目標の条件の中に、「直径5km以上の広さ」があることとされていました。平地ということが大前提です。

 長崎の爆心地は南西部に稲佐山、南東部には金毘羅山があり原爆による被害は極限されました。

 そこで「長崎駅」を投下目標としても山に囲まれてしまい、「直径5km」の条件を満たすのは、長崎県庁を投下目標にすると条件に合います。

 投下地点は本来の目標よりも北寄りとされており、投下目標から北上したのだと思われます。完全な「誤爆」です。

 歴史書や戦史などを読まなくても、ちょっと知識があると理解できます。

 おまけに命令違反を覚悟の上で、レーダー爆撃を行ったことなども「誤爆」の根拠となります。

 もし投下できなければ、太平洋上に投機すると命令されていたため、莫大な予算を使い開発した原爆が海の藻屑になるところだったわけです。

 アメリカの原爆投下の緊張ぶりがわかります。「誤爆」を認めず、投下機のクルーに対するお咎めは一切ありませんでした。咎めるわけにもいかないというのが事実でしょう。

 広島に比べ被害が少なかったためか、長崎の原爆は広島に比べ注目度はそう高くはありません。

 しかし、実際には長崎の原爆の方が威力が大きなものだったのです。「誤爆」のため、爆風等が遮られ被害を局限させたのです。

 広島、長崎市民の多くが、何が起きたのかもわからないまま命をなくした人がどれほどいたのでしょうか。こうした悲劇を繰り返さないように努力するのは、我々の使命ではないでしょうか。

 軍事をかじった者として、現在の日本の置かれている状況は戦後初の危機的状況です。安易に「敵基地攻撃」などと口にする輩もいますが、こうした議論がやがては「核武装」につながることも見えてきます。撃たれることを前提にするのではなく、国民の生命財産を守るのであれば、北朝鮮、そして中国に弾道ミサイルを発射させないことを目指すべきではないでしょうか。

 長崎原爆からいろんなことが浮かんできます。ちょっとして病気なのかもしれませんが、皆さんにもこの機会に考えてみてはいかがでしょうか。

PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+