元自衛官の憂い The third
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05091430 | 保守=石頭=革新 |
保守派が台頭する昨今、危険な考え方も当然生まれてくるものです。
例えば対米戦を善悪で見ようとする行為。これまで、日本は絶対「悪」であり米国は絶対「善」とされてきました。しかし、これは保守派が言うように米国の価値基準をそのまま日本人に刷り込んだものです。
だからと言って、その逆である日本絶対善、米国絶対悪ということにはなりません。
歴史を学べとは、反日感情渦巻く国のとある人の忠告です。自分たちが本当に歴史を学んでいるかはさて置き、確かに現在の日本人への言葉として言い得て妙です。
日本の教育制度の歪みが歴史教育をおざなりにしてきました。土器がどんな形で、模様がどうか後生大事に教え込み、明治期以降はかいつまんで要点だけを教える、こんな歴史教育を日本は長年にわたって続けてきました。
歴史教育だけではありません。平和主義を唱えるのは大変けっこうなことですが、平和主義が坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、日本では軍事に対する基本教育すら無視されてきました。
平和主義が平和ボケとなり、軍事無視がやがて危機管理能力を失わせることになったのは悲劇としか言い様がありません。ただ、伝統的に日本人は危機管理能力は低いということは否めない事実です。
保守派の主張をネット上で検索すると、アメリカ人はアメリカ先住民に対し虐殺を繰り返した極悪人とする主張がありました。
自分の主張の正当性のために、こうした主張をするのはわからなくもありませんが、これでは日本の戦国時代を内戦が繰り返された悲劇の時代と言い換えるのと同じです。江戸から明治への過渡期を「維新」などと言い換える国ですから仕方がありませんが、どこからどう見ても「革命」であったのが明らかなように、歴史を見誤るとろくなことがありません。
対米戦争は西に矛先を向けたアメリカと、中国大陸に活路を見出そうとした貧しい日本の覇権主義国家同士の戦争であり、経済問題も内包した戦争なのです。
軍事的教育の無視は、こうした保守派の主張に、そのお粗末さが表れています。
「オレンジ計画」というアメリカ陸軍の作戦計画があった=対日敵視だという理屈にはさすがに笑ってしまいました。
これは、世界中を相手に戦争を想定(シミュレーション)した「カラーコード計画」の一つにすぎません。
通常の国家は、5年後、10年後、20年後、30年後を見据えて国家の戦略を練ります。それに合わせ軍が戦術を練ることになりますが、その一つにすぎないオレンジ計画の存在だけで敵視していたと考えるのは「愚か」です。
ちなみにカラーコード計画は様々な国を相手に戦争等がシュミレーションされています。
関東大震災で援助物資を満載したアメリカ海軍艦艇が東京湾に入港しました。様々な支援をアメリカはしてくれましたが、この海軍艦艇が帰国の途につく際に、東京湾の水深を測っていました。
これが、国家同士の「外交」なのです。東日本大震災直後、ロシアや中国軍機が頻繁に日本領空に接近したと非難されましたが、これもまた「外交」の現実なのです。
考えてもみてください!
ご近所のお付き合いであれば、どんなトラブルになったとしても殺されたり、自分の家がトラブルの相手に乗っ取られることなあり得ません。しかし、「外交」という国家間のトラブルが起きれば、多くの国民が殺され、自分の国すら奪われる可能性さえあるのですから、何でもありは当然のことなのです。
保守派の共通として第二次世界大戦の対米戦争を「大東亜戦争」と言い換えようとすることがあります。
大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦太平洋戦線…どうでもいいことですが、彼らは大東亜共栄圏という西欧列強の植民地支配の下にあったアジアの人々の解放が戦争目的だと言いたいようです。
困ったものです。「聖戦」と訴えて無差別なテロや殺戮を繰り返す模造国家が中東に存在していますが、かつて、この国も対米戦争を「聖戦」と訴えて国民を鼓舞していました。
アジアの人々を解放するのは素晴らしいことですが、なぜ欧米諸国の駐留軍を排除した地域で、日本は皇民化教育を強いたのでしょうか。解放するのが目的であれば、国内が安定するまで日本軍を駐留させ、安定した頃合を見て憲法の制定や、選挙などを実施できる環境を整えるはずです。
「解放」しても日本軍が新たな支配者のように居座ることは、解放ではありません。
しばらく昔のことになりますが、仕事で訪れた東南アジアの某国の村で、村の顔役という老人と話す機会がありました。顔役ですから、日本で言えば強面のあの業界の皆さんと同じです。賭博場を仕切っていらっしゃり、筆者の仕事のことなどを話すと昔話をしてくれました。
若い頃は抗日ゲリラとして日本軍と戦闘を繰り広げたそうですが、この老人は「日本が来て楽になると思ったのに、日本が来たらアメリカが居たときよりも悪くなった」と言われました。だから、抗日ゲリラに加わったそうです。
これが、解放に対する応えなのでしょうか?
「解放」などと大義名分を鵜呑みにするのは愚か過ぎます。
保守派の主張する理屈は、贔屓目に見ても無理があります。主張によっては、「屁」が付くような理屈も多々存在しています。
国民性として二極化した極論に走りたがるのは傾向があるのは事実ですが、「いい塩梅」という言葉が日本にはあります。
原発事故後、再稼動するかしないか揺れていますが、闇雲な原発の停止は本当に可能なのでしょうか。燃料棒は発電に使わない場合でも、保管するだけでも常に冷却を続けなければなりません。原発ゼロ=原発事故が永遠のゼロとはならないのです。
稼動するにしても、本当に今の日本で安全対策は充分なのでしょうか。
極論だけが我々に幸福をもたらすとは限らないはずです。
武田鉄也氏が、原発問題で発言して一部の人は批判していますが、筆者は武田氏は至極当然のことを言っているのに、なぜ批判するのか理解できずにいます。
東日本大震災直後の原発事故で関東地方は節電が訴えられ、計画停電なるよくわからないことが行われました。筆者はこれでテレビ・ラジオは放送時間が短縮され深夜放送など無くなると思っていました。
でも、実際にはそんなことなど全くありませんでした。
これは何を意味するか…反原発を訴える皆さんに考えてもらいたいものです。武田氏の主張は稚拙ではなく、普通の日本人とは違った目線で物事を見極めようとしているからこうした主張がされるのです。
二極化した思考は、すぐに硬直してしまいます。出口が見つけられなくなり、やがては「死」を招くことだってあり得るのです。
二極化した片一方の思考で国の舵取りをしている現在の我が国の首相ですが、近い将来、硬直して出口が見つけられず、自分の「死」であれば国民にとってどうでもいいことですが、国民の「死」を招くことにならないか非常に危惧される今日この頃です。
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