元自衛官の憂い The third
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07161950 | 安保法制に思う |
安全保障法制が数によるゴリ押しで可決されました。
法案の可決に様々な意見があるのは民主主義国家ですから当然ではありますが、筆者は無条件で賛成を表明する“元自衛官”などが出てくると、どうしても暗い気分になります。
集団的自衛権行使容認は独立国家としてごく自然のことだと認識していますが、それよりも何よりもまず第一に憲法改正から手をつけるべきでした。法治国家の看板を捨て去り、簡単に一党独裁国家のようなマネをして「恥を知れ!」と言いたいところです。
それだけではありません。「集団的自衛権行使容認」の陰には、対米追従どころか米国のご機嫌伺いの一環で行使容認を決めた事実もあり、これでは米国の自治州レベルになってしまいました。
憲法学者が「憲法違反」と断じたことに対し、何ら明確な説明ができない姿は政治家の底の浅さを実感しました。
元官僚で、現在大学院教授の職にある方の意見を目にしました。
『少なくとも日本が直面する安全保障の現実からは、安保関連法案の必要性は明らかではないかと個人的には思います』
そのとおりだと筆者も思います。しかし、国の命運がかかるような法案を、なぜこうも急いで成立させようとしたのかという疑問が浮かびます。〝危機〟はすぐそこにあるのか? それとも、近い将来生起するのか、それすらも説明もなく闇雲に成立が急がれました。
昨年だったでしょうか、ノーベル平和賞受賞に自薦した革新団体がありましたが、憲法で「平和」を謳っているのは日本だけではないことなど知らないようで、筆者はとても恥ずべき行為だと怒りを覚えたものです。
「平和」は大切です。「平和」を維持し、それをどう守っていくのか、人類の共通の問題だと言っても過言ではありません。
「平和」を維持・守る方法は掃いて捨てるほど考えられています。そこには、思想・信条、経験などが大きく影響していますが、平和(主義)とは国際協調主義が基本になるものです。「自国の利益のみを追求するのではなく、諸外国と友好的に協力し合いなが共存しようとする考え」です。
日本国憲法は三島由紀夫氏が「敗戦国日本の戦勝国への侘び証文」と揶揄していらっしゃいますが、筆者も三島氏の揶揄に賛成です。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」そのものになってしまい、かつては憲法9条に反対した日本共産党(日共)が現在では護憲派の先頭に立つという不思議な状態になっています。
憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
単純に読めば、国際紛争の解決手段である武力による威嚇、武力行使を永久に放棄するわけですから、「竹島」問題は憲法を遵守し、ひたすら平身低頭で話し合いを求めています。「戦力の不保持」「国の交戦権の否認」など自衛隊の存在は認められませんし、集団的自衛権など憲法違反だとしか読み取れません。
憲法を改正せず、有耶無耶のまま警察予備隊→保安隊→自衛隊としてきた日本政府の重大な粗放です。
それを解釈により警察予備隊→保安隊→自衛隊としてきた日本政府ですが、そこでひねり出したのが「限定放棄説」です。
「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたもので、自衛戦争までは放棄していない。第2項では自衛戦争及び自衛のための戦力は放棄されていないと解釈しました。
ほかに「峻別不能説」、「国際紛争を解決する手段」ではない戦争というものはあり得ず、官報第9条第1項ですべての戦争が放棄されていると解釈する立場です。
「遂行不能説」第9条第1項の規定は「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたもので自衛戦争までは放棄されていないが、第2項で戦力の不保持と交戦権の否認が定められた結果としてすべての戦争が放棄されたと解釈する立場があります。
つまり、解釈だけでも3つが存在しており、安保法制が「違憲」という憲法学者が出てきても何ら不思議はありません。
日本政府は「限定放棄説」をさらにひねります。政府は「戦力」の保持を禁止していると解釈し、自衛のための必要最小限度の実力を保持することを禁止するものではなく、これを超える実力を保持することを禁止すると解釈しています。政府見解は、交戦権を伴う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは別のものだとしています。
訳がわかりません。
個人的には安倍首相は、憲法改正のチャンスを自らの失態で逃してしまいました。ここに来て、解釈の変更という大胆な手に打って出たのです。この決断がどう出るかは、近い将来ハッキリすることでしょう。
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