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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :08/25/10:48

11262006 憲法を守るのか国を守るのか

96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

しかし、最高法規と言えども国家の存続の危機、日本の将来の禍根となるな状況には、改正も当然ではないでしょうか。


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 日本ではなぜか過去を振り返ったり、そこから学ぶことをしませんが、昭和211946)年6月、時の吉田茂首相は自衛権を「一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権を放棄した」と答弁しています。個別的自衛権さえ放棄すると信じられないようなことを平然と言ってのけたのです。

 これに反対を明らかにしたのは、当時の野坂参三共産党委員長でした。

 「当憲法第二章は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は、民族の独立の為にこの憲法に反対しなければならない」と第90回帝国議会速記録にあります。

 ちなみに、憲法(自衛権の放棄)に反対したのは朝日新聞も片棒を担いでおり、今とは真逆の主張をしていたのです。

 政権政党は国家の将来ではなく、その時の民意を優先し、当時の日本の置かれた状況に合致した法解釈と運用を行おうとしたのです。

 これは間違いではありません。しかし、理想と現実の大きなずれを放置したまま日本は戦後復興から経済成長と歩んできました。

 しかし、世界から日本はどう見られているか。  

 

 サッチャー元首相の回顧録等には、「日本は安全保障を確保するために積極的に国際的な役割を果たそうとしない」「欧米諸国政府の物笑いの種になっていた」等見られ、日本の置かれた厳しい現実の一端がうかがえます。

 日本がどれだけ異常な国かというと、国連憲章で認められている「集団的自衛権」を認めず、安倍首相の憲法解釈の変更で集団的自衛権行使容認となりました。

 日本防衛の頼みの綱のアメリカは「世界の警察官ではない」と発言。それに呼応するかのように、世界中は混沌としています。

 国家が国家として存続するためには、自分たちの国は自分たちが守るという意志が必要であり、憲法・法律もそれに応じた整備が進められて当然です。

 それに基づき、国は戦略を練り、その戦略を実現させるために自衛隊は戦術を練るのがあるべき姿です。

 集団的自衛権行使容認で、朝日・毎日・東京等の新聞社は「自衛隊が戦地へ」「自衛官から戦死者」「自衛官募集に支障」等、継子扱いしていた彼らは手のひらを返したように親の目で書き立てました。

 本当に親の目で見るようになっていればいいのですが、政権政党に異を唱えるための材料にしているだけのことです。

 本来であれば現在の日本の周辺事情を勘案し、日本の採るべき施策を多く議論させるべきですが、戦後から無関心でここまで来た国民に警鐘すら鳴らすことをしないとは情け無い限りです。

 政権政党であった経験のある民主党も、国民に議論の場を作るべきですが、朝日・毎日・東京と同一の主張をする始末。国民を煽って何をしようとしているのか見当もつきません。

 安倍首相の主張する集団的自衛権は無茶苦茶ですが、私は日本が集団的自衛権行使容認は抑止力を高めるものであり、アメリカ一辺倒の集団的自衛権であってはならないと考えています。

 現在の日本の状況は憲法を守り、国を守ろうとしていないというあってはならない形になっています。

 PKOや今回の集団的自衛権行使容認にしても、反対ばかりが先行し中身がまったく無視され論議の対象となっていることは大きな無駄ばかりです。

 小泉純一郎は自衛隊を「自己完結」できる組織だからとイラクに送りました。しかし、現実にはイラクに持ち込む資機材を輸送したのは、あのウクライナの輸送会社の巨人機でした。

 集団的自衛権行使容認で、不幸にも武力行使という事態に立ち至った場合、どこの誰が戦場となる地に武器や資機材を運ぶのでしょうか。

 戦場に自衛官を送り出し戦闘地域ではないと平然と言ってのける首相など、この国のために本当に必要なのでしょうか。

 銃を持ち揃いの戦闘服に身を包んだ集団が、海外で私たちは「軍隊ではない」と言って、〝ハイ、そうですか〟と受け入れてくれるのでしょうか。

 サッチャー元首相の回顧録は、こうした歪んだ日本人の理想と現実の溝を埋め切れていないことへの痛烈な皮肉なのです。

 総選挙も何でもいいですが、震災からの復興はどうなっているか。原発事故は収束に向かっているのか。対中外交はどうするのか。対韓外交はどうするのか。ジャパンスタンダードの平和意識をどう変えるのか。世界とどう向き合って行くのか。実は様々な課題があるにもかかわらず、日本の政権政党は支持を得るために目先の話しかしていないのです。

 覚悟があるか日本国民!?

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