元自衛官の憂い The third
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11190955 | 日本が抱える矛盾 |
安保法制は戦後日本の安全保障政策の大転換ですが、筆者は日本にとって必要な政策の転換だとは思いますが、日本には時期尚早であり、転換よりもまず土台を完全に整えてからにして欲しかったと残念に思います。
日本人の中に「護憲派」と呼ばれる「日本国憲法の条文の全てについて変更すべきではない」と主張する人たちが存在しています。いわゆる左派の人がほとんどですが、筆者は彼らの存在に疑問を感じています。
それは、憲法の意義から考えるとわかります。
憲法の意義は、「国家権力を憲法によって制限し、広く国民の権利や自由を確保するという立憲主義の思想に基づく国家の最高法規」です。
“国民の権利や自由を確保する”ということが最も重要な部分ですが、公布されたのが昭和21(1946)年11月3日、施行は昭和22(1947)年5月3日です。68年前に施行された憲法が、日本国民の権利や自由を確保(守っている)ことになります。
約70年前の憲法が我々を守っているわけですが、時代の変化に追いついて行っているのかと問われた時、誰もが納得して「イエス」と答えられる人はどれほどいるのでしょうか。
逆に70年前の価値基準で守られていることに、誰も疑問を感じないのでしょうか。
筆者の目には、護憲派とは国民の生命・財産を守ることよりも、憲法とよばれる「文書」の方が大切だと言っているように聞こえるのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
陸自主催の「富士総合火力演習」が大人気です。OBとして有り難いことではありますが、火力演習を見に行った人の中で、どれだけの人が有事になれば、あの光景が眼前に展開すると想像している人がいるでしょうか。
日本は専守防衛という戦略で、陸海空自衛隊があらゆる戦術を練り上げています。
専守防衛とは聞こえはいいですが、現実的には国内を戦場にするという考え方であり、かつての大本営の描いた「本土決戦」を有事の緒戦から展開するという一億玉砕の思考と同じ発想なのです。ですが、誰もこの「専守防衛」に疑問を口にしませんし、以前、筆者が火力演習が国内で起きることに懸念を示したら批判されました。
逃げ場のない狭い国家で、国土内を戦場にしようというのですから、玉砕戦法と言われて当然です。自衛隊は国土を戦場に戦い、米軍の来援を待ち、国連の対応を待つというのです。「肉を切らせて骨を断つ」と言いますが、それをどれほども国民が納得しているのでしょうか。
それを何も考えず受け入れていること自体、怖いことだと思いませんか。
筆者は日本国憲法は世界に発した日本の始末書だと認識しています。その始末書から引き出されたのが専守防衛です。それで本当に日本国民の生命財産を守れるのかどうか、それは筆者が論じるまでもないことです。
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