元自衛官の憂い The third
軍事的色眼鏡で見る世界
軍人は究極の合理主義者です。
合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。
軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。
家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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12170823 | 日本の防衛戦略 |
イージス・アショアの白紙撤回で「敵地攻撃能力」保有検討がなされるようですが、個人的な感想としては〝時代遅れ〟であり、反対する政党は真剣に〝日本(国民の生命・財産)を守る〟覚悟があるのか疑問を感じます。
敵(北朝鮮、中国も含め)は、腰のホルスターに拳銃を入れています。そして、いつでも発射できる状態で日本を睨んでいます。対するは、発射されなければ撃ち返せない身の上。それも、相手と同じ威力の物しか撃てないという長患いを持つ身。連射できる銃弾、砲弾は使えないときています。
つまり、日本はミサイルを発射されたら、現段階ではミサイルが日本に向けて発射された後、これを撃墜するしかないのです。それも、どの段階で撃墜できるかさえ決まっていません。撃墜に成功すれば良いですが、失敗したら私たちの頭上にミサイルが降ってきます。1発だけなら生き残れる可能性も上がりますが、核弾頭であれば1発で全てが終わりますし、通常弾頭でも飽和攻撃されたら最期です。
敵基地攻撃能力を保有するかどうか、自民党以外の政党はほとんどが反対しています。
自民党と連立を組む公明党でさえ、斉藤鉄夫幹事長は「専守防衛の基本的な考えからも国民の理解を得られるとは思っていない」、山口那津男代表は「(敵基地攻撃能力を保有しないとの)長年の考え方を基本に、慎重に議論していきたい」と語りました。
小池晃共産党書記局長は「攻撃的兵器の保有はいかなる場合も許されないとしてきた憲法上の立場を完全に蹂躙するものだ」「どう考えても専守防衛という方針に反する」だそうです。そもそも、兵器に攻撃的・防御的兵器を区分できるのでしょうか??? 専守防衛を堅持して、日本国民は死を黙って迎えろというのでしょうか。
笑ってしまったのは、日本の敵性国家である〝中国〟が「日本が歴史の教訓を真剣に汲み取り、専守防衛の約束を誠実に履行し、実際の行動で平和発展の道を歩むように促す」「一部の日本人が外部の脅威を囃し立てて軍事政策(の壁)を突破しようとしていることは誰でも知っている」と中国外交部趙立堅副報道局長が日本を牽制しました。
尖閣諸島で我が物顔に振る舞い、ウイグル人を弾圧する独裁国家に言われたくもありません。でも、防衛に無関心な日本人は何も反論しません。国家としてもです。中国が日本の防衛力を警戒しているのだけはハッキリしましたが…。
では、専守防衛とはいったいなんなのでしょうか。
現代用語辞典などでは、専守防衛の説明として「先制攻撃や自国領土外軍事活動を行わず、相手国から攻撃を受けた時に初めて自衛力を行使すること」「他国へ攻撃を仕掛けることなく、攻撃を受けたときにのみ武力を行使して、自国を防衛すること」とされています。日本から先制攻撃せず、ひたすら守りに徹する日本の戦後の防衛戦略です。
「専守防衛」という言葉が日本で初めて登場したのは、1955(昭和30)年、航空戦力整備を急ぐ政府が、「厳格な意味で自衛の最小限の防衛力を持ちたい(中略)決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない。もっぱら日本の国を守る。もっぱらの専守防衛という考え方でいくわけです」と(当時)杉原荒太防衛庁長官が答弁したのが最初です。
整備される航空戦力が、憲法第9条で許される(と解釈されている)「必要最小限の戦力」なのか否かが問われていたのです。
この時代の議論として整合性があることは認めますが、それが21世紀の新たな状況下で整合性があるとは認められません。
当時は旧安保条約下であり、朝鮮戦争が休戦し2年という時代です。日本はアメリカ軍が駐留し、極東での安全保障環境を維持しなければならない状況にありました。
一説には、(当時)吉田茂首相が軍事費に金をかけず、アメリカ任せにしたという見解もありますが、かつての敵国アメリカのご機嫌伺いをしながら日本の防衛を依存するというやり方を否定することはできません。
〝専守防衛〟を日本に定着させたのは、中曽根康弘氏が防衛庁長官時代になってからです。国会答弁で〝専守防衛〟を多用し、1970年に初めて刊行された『防衛白書』で「我が国の防衛は、専守防衛を本旨とする」と明記されました。72年には(当時)田中角栄首相が衆院本会議において、「我が国防衛の基本となる方針であり、この考えを変えるということは全くない」と述べています。
冷戦崩壊の9年前の81年に〝専守防衛〟を政府の公式定義が確立されました。「防衛力が行使できるのは相手から武力攻撃を受けた時であり、行使の態様は自衛のための必要最小限に止まり、保持する防衛力も必要最小限に限られる」とされました。つまり、①相手から武力攻撃された時、②行使は必要最小限、③保持する防衛力は必要最小限の三点に集約されます。
〝必要最小限〟が二つも見られるのは、「自衛のための必要最小限の実力を備えることは合憲である」という憲法9条の政府解釈のためです。
ここでわかるように、専守防衛は憲法9条との政府解釈の整合性から考え出されたものなのです。日本の独立国としての国防戦略ではなく、憲法の政府解釈の整合性から生み出されたものなのです。
70年代後半になり、日本政府は基盤的防衛力構想に基づき「防衛計画の大綱」が閣議決定されました。日本政府/防衛庁は「自らが力の空白となって我が国周辺地域の不安定要因とならないよう、独立国として最小限の基盤的な防衛力を整備する」というものでした。専守防衛という土台から作り出された「防衛計画の大綱」です。専守防衛は日本の防衛戦略を完全に縛るものでした。
現実の話をすれば、戦後日本は防衛(国防)戦略を策定すべきでしたが、当時の日本は防衛に対する世論が割れており、軍事力を否定する風潮が強く、それを無視すれば政権崩壊→左翼政党が政権を握る可能性もあったため、政府は敢えてこれを避けたのです。
防衛大綱の基盤的防衛力構想は、「限定的な小規模な侵略に対処することができ、大規模な武力紛争が発生した際には、それに対応する態勢に移行する」というものでしたが、基盤的防衛力とは何かは説明されないままで防衛力整備が続けられました。行き着く先も定まらず、防衛力整備が行われたのです。
冷戦が崩壊しても、日本は新たな防衛戦略を練ることはしませんでした。旧態依然のまま、アメリカに依存したままの防衛戦略を採り続けました。
2001年の9・11テロでもまだ防衛戦略は練り直されず、2010年にようやく基盤的防衛力構想に代わり、「動的防衛力」が防衛大綱で示されました。「動的防衛力」とは、即応性・機動性・柔軟性・多目的性を重視したものです。
即応性、機動性、柔軟性、多目的性が重視されましたが、それでもなお日本政府は〝専守防衛〟を土台とする防衛戦略を採ったのです。しかし、他国に脅威を与えないことを前提としており、他国に脅威を与えないというものは抑止力を否定する軍事戦略です。専守防衛の土台があって即応性、機動性、柔軟性、多目的性を持つ軍事力を整備するのは不可能です。つまり、日本の安全保障にとって有害でしかありません。
専守防衛と敵基地攻撃能力の関連性ですが、専守防衛は「相手から武力攻撃を受けた時に防衛力を行使できる」というものですから、弾道ミサイルによる攻撃が行われた場合、①発射準備が完了した段階、②ミサイルが発射に備え起立した段階、③発射された段階、④発射から着弾までの段階、⑤着弾した段階など具体的な解釈は決められないまま、ミサイル防衛が進められたという歪んだ戦略が採用されているのです。
余談ですが、近年、中露の戦略偵察と示威への対処のためスクランブルがほぼ毎日行われています。たとえば、爆撃機が日本の防空識別圏を越えて、領空に侵入、領土内へと進み東京上空で爆弾倉を開きました。そして、爆弾を投下します。
どの段階で爆撃機を撃墜できるのか、明確な解釈はされていません。〝普通の国〟では、防空識別圏内で指示に従わない航空機は、撃墜を前提に行動します。事前に時間を無駄にしないために、マニュアルが存在します。
専守防衛と高らかに謳っている日本ですが、どこの国であっても(たぶん、中国は除かれますが…)、周辺の国に対し無用な軍事トラブルを避けるため、居丈高に振る舞うことはしません。つまり、どの国も専守防衛を前提としているのです。
国家を防衛するために時間の無駄をしないために、様々なマニュアル(規定)が存在し、文民統制下であっても政府中枢に事後報告されるのが普通なのです。大規模な軍事行動以外という前提条件はあります。
何かと話題を振りまく鳩山由紀夫氏の祖父である鳩山一郎氏が首相在任時の1956年2月、「我が国に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところとは考えられない。そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限の措置を取ること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ可能というべきである」と主張しました。
言うなれば、ガンジーのように生命を賭して無抵抗主義を貫き通すのか、自殺願望が強いかのどちらかでない限り、鳩山一郎氏の見解は妥当なものです。
鳩山一郎首相の見解に社会党石橋正嗣氏は、「憲法上、攻撃的兵器は保有できないとする政府答弁に矛盾するのでは」と問い質しました。これに、(当時)防衛庁長官伊能繁次郎は「このような(日本が誘導弾等の攻撃の脅威を受けて自衛のために敵の基地を攻撃せざるを得ないような)事態は、今日においては現実の問題として起こり難いのであり、そういう仮定の事態を想定して、その危険があるからといって平生から他国を攻撃するような、攻撃的脅威を与えるような兵器を持つことは、憲法の趣旨とするところではない」と答弁しました。与野党ともに国家防衛に無責任と言わざるを得ません。「現実として起こり得ない」から、考えないという発想は政治家としては資質に欠いています。
1970年、特筆すべき重要な国会答弁がありました。(当時)社会党の楢崎弥之助議員が、「相手が軍事行動に出たことが明白な場合に、現実に侵害が行われなくとも自衛権は発動されるのか」という質問に対し、高辻正己内閣法制局長官は「(自衛権発動の時期は)要するに武力攻撃が発生した時であるから、武力攻撃の恐れが
あると推量される時期ではない。そういう場合に攻撃することを通常は先制攻撃というと思うが、まずそういう場合ではない。また、武力攻撃による現実の侵害があってから後ではない。武力攻撃が始まった時がいつであるかは、諸般の事情による認定の問題になるので、軽々しくはやれないが、基本の考え方は今の通りであります」と答弁しました。
自衛権発動は「武力攻撃による現実の侵害があってから後ではない。武力攻撃が始まったときである」ということは、たとえば、敵性国家がミサイルに燃料を注入し始めて準備行為を始め、ミサイルが屹立した場合は、日本は攻撃に着手することができると解釈できます。この時点でミサイル基地を攻撃できることになります。
2003年、石破茂防衛庁長官も衆院予算委で「(発射準備が完了した段階)法理上ミサイル基地に対して攻撃できることになる」と述べています。合理的な考え方です。
石破氏は、「敵基地攻撃能力を我が国は有していない。日米安保条約により米国が敵基地攻撃能力を持ち、我が国は専守防衛という観点から(自国:日本を)守ることになっているからで、敵基地攻撃能力を持たないからというだけの単純な議論ではない」とも語っています。
私のような立場から見ると、与野党ともに国民の生命・財産を守る気概が全く感じません。考えない・考えられない=平和という宗教的政治姿勢は、現在の状況下ではあってはならないことです。
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