元自衛官の憂い The third
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01170919 | 日本人としての誇りとは |
阪神淡路大震災が起きた1月17日が来ました。
阪神淡路大震災は日本の様々な問題点が浮き彫りにされた大規模災害ですが、日本・日本人は阪神淡路大震災で何を学び、何をしてきのでしょうか。
ある陸自元高級幹部の存在から、考えてみたいと思います。
松島悠佐元陸将。防大5期。阪神淡路大震災当時、中部方面総監の職にありましたが、兵庫県知事からの災害派遣要請がないとして出動命令を出さず無為に時間を空費させ、後に「自衛隊の対応が遅れた」と批判を浴びました。
空費した時間は4時間。偶然つながった電話で出動命令が出されました。後に、松島は出動の遅れ批判で詰め腹を切らされますが、事実は自衛隊が出動できる法的根拠がなかったからです。しかし、4時間もの間何をしていたのか、筆者は正直怒りさえ覚えたものでした。なぜかというと、発災直後から、法律を無視して辞表を懐に忍ばせ救助に出動した自衛官が少なからずいたからです。
言い換えれば、松島は自分はそうなりたくなかった、法的根拠がないからと国民の苦痛を座して時間を空費する選択をしたのです。保身に走ったのです。今では大手を振って「軍事評論家」「防災の専門家」ですから笑止千万な話です。
陸自第3師団隷下第36普通科連隊(36普連)は、当時、災害派遣項目の中にあった「近傍火災」を理由に部隊を出しています。訓練名目だったとの証言もありますが、これは「偵察訓練」を名目にしたといったものと思われます。
ほかにも海自呉地方総監や陸自中部方面航空隊長など、辞職を覚悟でいち早く動き出していた自衛官が存在していました。
公的な組織にとって、法的根拠がない行動とはどういうことか、いかに人道的な行動であったとしても、個人が辞職してい済まされるものではありません。政治問題化する心配までしなければならないのです。
36普連のある中隊長は、部下である陸曹から「中隊長は見なかったことにしてください」と中隊員が散乱する瓦礫や放置車両を押し退けたそうです。
呉地方総監は手持ちの輸送艦に物資を満載し、自らが指揮を執り神戸基地に向かったといいます。
後に法律が改正され、東日本大震災では初動が迅速に行われることになりました。
しかし、最も問題なのは法律が何のための、誰のための法律なのかということが無視され、法の縛りに固執してただ時間を空費した指揮官もいれば、いち早く行動に移った指揮官もいたことです。
どういう理由かはわかりませんが、何もしなかったトップが今でも大手を振ってメディアに顔を出し、辞職覚悟で救助に動き出した指揮官たちは無名のまま。
平和ボケ国家ではありますが、この大きな矛盾が存在する以上、同じ過ちを繰り返すことは目に見えています。
今一度、阪神淡路大震災を振り返り、私たちは日本人としての誇りを取り戻すべきではないでしょうか。
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