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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/28/21:15

03221044 日本人はなぜ宗教団体に寛容なのか

オウム真理教による地下鉄サリンテロ事件から20年になります。

在家信者死亡事件、男性信者殺害事件、坂本堤弁護士一家殺人事件、オカムラ鉄工乗っ取り事件、サリンプラント建設事件、逆さ吊り死亡事件、池田大作サリン襲撃未遂事件、薬剤師リンチ殺人事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、自動小銃密造事件、松本サリン事件、男性現役信者リンチ殺人事件、駐車場経営者襲撃事件、会社員殺害事件、被害者の会会長襲撃事件、公証役場事務長逮捕監禁致死事件、地下鉄サリン事件、新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件と死者20名以上、負傷者約7,000名以上という殺人集団です。

オウムはどうなったのか…教団幹部の大量逮捕により教団は崩壊したかのようですが、「アレフ」と名称を変え、現在も信者を獲得しています。教団の広報担当が脱会し新たな団体を設立していますが、これはどう見てもアレフが公安機関から圧力が加わるようになった場合の受け皿になるのが役目と思われます。


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 驚くのは、このような宗教とはなばかりの犯罪者集団を解散させられないという日本人の宗教に対する寛容さです。

 地下鉄サリン・テロは、日本よりも世界の治安機関の関係者を震撼させました。

 東日本大震災の大津波で原発事故が起きると、アメリカ海兵隊CBIRFが派遣されましたが、このCBIRFは地下鉄テロから当時の海兵隊総司令官の下に組織された部隊です。

 メディアは「サリン」という言葉を簡単に使いますが、この「サリン」はナチス政権下のドイツで殺虫剤開発過程で発見されたものですが、あまりの毒性の強さに危険で「化学兵器」以外の用途がないほどのものでした。

 ナチスはこの「サリン」を7,000トン以上貯蔵していたにもかかわらず、実戦で使用することはしませんでした。悪魔の化身のような独裁者ヒトラーでさえ、使用を許可しなかったほどのものです。それを、教祖は何のためらいもなく、自国民に対し使わせたのです。オウム真理教の教祖はヒトラー以上の悪魔、ヒトラーが小者に思えます。

 オウムによるテロは防げる可能性がありました。

 しかし、高い検挙率を自慢し傲慢になった警察、無能なマスメディア、宗教タブー視によりオウム真理教を「監視」するという当たり前のことを怠ったツケが地下鉄テロです。

 警察は松本サリン事件でずさんな見込み捜査をせず、マスメディアも警察発表を鵜呑みにしなければ、地下鉄テロは防げた可能性が高いのです。オイコラ警察、御用メディアが地下鉄テロを起こさせたのです。

 

 私たちにとって最も不幸なのは、警察もマスメディアも何ら自省の言葉を聞いていないことです。

 地下鉄テロをみすみす起こさせた警察ですが、日本の「民」は敢然と立ち上がりました。

 緊急対応に当たった聖路加国際病院は当時の日野原院長の方針で大量の患者が発生した際に機能できる病院として設計されていたため、日野原院長は「外来受け入れ中止、患者はすべて受け入れる」と宣し無制限の患者受け入れを行い、被害者治療の拠点となりました。済生会中央病院も数十名の被害者が搬送され、病院は一般外来診療を中止、虎ノ門病院も迅速な高度治療に当たりました。

 そして、聖路加病院からサリンの解毒剤であるプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)が大量に必要だと連絡を受けた薬品卸会社は西日本の各営業所から新幹線を使い輸送。陸自衛生補給処からはPAM2,800セットを提供。PAMを製造する住友製薬は、系列会社の住友化学が有機リン系農薬を製造していたため、会社が責任上解毒剤を用意しておくべきとの判断からPAMの製造を続けており、住友製薬の保有するPAMや硫酸アトロピンを関西から緊急空輸されました。

 悲しいかな国の行政が機能不全に陥り、「民」が立ち上がるというのは東日本大震災と同じ光景でした。

 長くなりますが、楽天選手会長であった嶋基宏選手が2011429日仙台での開幕試合後のスピーチをご紹介します。

震災後、選手みんなで「自分たちに何ができるか」、「自分たちは何をすべきか」を議論して、考え抜き、この東北の地に戻れる日を待ち続けました。

そして開幕5日前、初めて選手みんなで仙台に戻ってきました。

変わり果てたこの東北の地を目と心にしっかりと刻み、「遅くなって申し訳ない」と言う気持ちで避難所を訪問したところ、

皆さんから「おかえりなさい」、「私たちも負けないから頑張って」と声を掛けていただき、涙を流しました。

その時に何のために僕たちは闘うのか、ハッキリしました。

この1カ月半で分かったことがあります。

それは誰かのために戦える人間は強いということです。

東北の皆さん、

絶対に乗り越えましょうこの時を。

絶対に勝ち抜きましょうこの時を。

今この時を乗り越えた先には、

もっと強い自分と未来が待っているはずです。

絶対に見せましょう、

東北の底力を。

本日はありがとうございました。

「誰かのために戦える人間は強い」という言葉です。

 震災では自衛隊、警察、消防、地元消防団、自治体職員などが献身的な活動をしましたが、彼らこそ嶋選手の言葉通り「誰かのために戦える人間は強い」ことの証明です。

 震災では政治家も官僚も「誰かのために戦う」気概が無かった。それが震災直後の有為転変状態に陥らせたのです。警察もマスメディアも、それを松本サリン事件直後は完全に見失っていたと言えるでしょう。

 テロ事件では縦割り・縄張り意識も見えていました。警視庁は買ったばかりの化学防護服3着を捜査員に着せ現場に入らせました。不幸なのは、防護服の着方を知っているのは1名のみ。それも〝着方〟だけ知っているだけで、防護に対する知識は無し。現場に立ち入った後は除染するということを知らなかったため、防護服を脱ぐときに中毒症状が現れました。

 テロ事件後、教団に強制捜査が行われますが、オウム真理教は国家転覆を計画していたことがわかりました。199511月、国会の開会に合わせてオウム真理教が所有する旧ソ連製軍用ヘリを使いサリンを首都圏に散布し、皇室・閣僚・国会議員を中心に都民を殺害し、その後、ヘリにより全国でサリンを散布し、国家機能が喪失した日本を武装したオウム信者で東京を制圧し、オウムが新政府を樹立するという具体的なものでした。

 そのオウム真理教教祖はどうなったか。破壊活動防止法(破防法)の適用を求める処分請求が公安調査庁から出されましたが、破防法は憲法違反だとする憲法学者に意見から破防法は適用されませんでした。

 国民の大量殺戮を企てた団体を処分するのに、その法律が憲法違反の疑いがあると適用されないとは、何のための誰のための憲法であり法律なのか、情けなくなります。平和ボケと言ってしまえばそれまでですが、平和ボケどころか国民を見捨てる棄民が、この国の中枢では起きているという恐るべき事実です。

 その証拠に、事件の事後報告は国のどの機関から出されていません。教祖は死刑判決を受けながらいまだ生かされており、我々の税金が使われているのです。

 そう言えば、政教分離という憲法違反の宗教団体が母体の政党が今では政権与党であり、この宗教団体がかつては犯罪を繰り返していたことを誰も目を向けません。

 これでは寛容ではなく、無関心と言うべきです。無関心が何を招いたのか、20年という時間は無駄になりましたが、震災以降も同じような問いかけがなされているように思います。日本は今、変わらなければならない時なのではないでしょうか。

 参考までにhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/tikatetu_sarin/tikatetu_sarin.htm

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