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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/28/05:44

09011129 本当に求めらえる安全保障体制の転換

「安全保障法案」の成立が近づいています。

成立に反対する主張が前面に出てきていますが、なんとなく違和感を拭い切れずにいます。

自衛隊が憲法違反かどうかお座なりにされ、その先にあるはずの今回の安全保障法案が論じられることに筆者は強い違和感を覚えます。


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 今回の反対派の主張は、「憲法違反」ということです。これは、衆院の公聴会に招いた憲法学者が「違憲」だとの見解を示したことが第一に挙げられます。憲法学者の中には「合憲」だとする“見解”もありますが、学者が意見だから、「違憲」という解釈は成り立ちません。なぜなら、法的な判断をするのは学者ではなく司法機関なのです。あくまでも“見解”による「違憲」ですから、何ら法的に裏打ちされていない単なる主張でしかありません。俗に言われる「神学論争」です。

 次に「徴兵制」「軍事大国」といった意見です。徴兵制、軍事大国は集団的自衛権とは全く次元の違うものです。自衛隊がいかに世界で○番目の軍事力と言われても、実戦経験はなく、装備体系自体も〝元〟専門家から見て本当に必要なのかという物も少なくありません。東日本大震災で明らかになったように、装備体系に問題があるのは明らかです。残念ながら、こうした面に注目されませんでした。むしろ、自衛隊の活動を支えたのは自衛隊員による献身でした。

 最も論じられなければならない、「集団的自衛権の必要性」ですが、現実としては無視されています。

 中国の膨張政策で南シナ海での実効支配、尖閣諸島への威圧的行動など、集団的自衛権が今必要なのかどうかを論じられるべきですが、それが全く行われていません。非常に残念ですが、賛成・反対両論とも観念論的な主張でしかないように見えているのは筆者だけでしょうか。

 国会で議論されているの「徴兵制」「軍事大国」「強行採決」というキーワードだけで、具体的内容がほとんどありません。法案は、集団的自衛権行使容認により、我が国の安全保障の根本的な変更であり、この変更で自衛隊の街道内容・範囲の拡大を規定するものです。

 これまで、自衛隊は「武力攻撃事態」「武力攻撃予測自体」「周辺事態」により、我が国の平和・安全に直接的な危機にさらされた場合にのみ自衛権の行使は許されないと解釈されてきました。

 日本では「個別的自衛権のみ行使できる」という解釈をされてきたが、これはあくまでもジャパン・スタンダードです。個別的・集団的自衛権を認めるのは、グローバル・スタンダードですが、個別的自衛権のみ行使できるとするのは我が国にみです。これを、「ガラパゴス」だとする識者がいます。

 

 安全保障法制はジャパン・スタンダードをグローバル・スタンダードに変更しようという側面もあることを見逃すことはできません。

 

 筆者は今回の法案は一部賛成、一部反対です。安全保障はアメリカとのみの問題ではなく、地域を優先するものであり、集団的自衛権と集団安全保障まで検討すべきです。アメリカに盲従するのではなく、地域が集団で大きな力に対抗することを考えなければなりません。

 今回の法案は、「周辺事態安全確保法」を改正し、「重要影響事態安全確保法」として、“放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至る恐れのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態”とし、米軍以外の外国軍隊等支援の実施、支援メニューの拡大しています。

 

 「存立危機事態」を新設し、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び降伏追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態として、「新三要件」の下に自衛隊の「武力行使」可能にするというものです。

 要約すると、「周辺」という大まかな枠を取り払い、活動範囲の制約を無くす。我が国と密接な関係にある国に武力攻撃が起きた場合、自衛隊もそれに合わせて活動できる。国連安保理の承認を受けた危機的事態への国際的共同対処行動が可能になるというものです。

 このように地域ではなく、アメリカないしオーストラリアといった国を意識した内容になっていますが、なぜ国を守るという、国家として根源的な問題を曖昧で大きな枠で行おうとするのか理解できません。

 反対派はアメリカの戦争に巻き込まれるという意見が出されますが、安倍政権の狙いは、アメリカの戦争に巻き込まれて自衛隊の活動範囲を広げようというのではなく、日本の戦争にアメリカを巻き込むのが狙いではないだと筆者は考えています。

 そのためには、アメリカの戦争に巻き込まれるのは「多少の犠牲」という解釈をしているのではないかということが気になります。

 確かにアメリカは世界最強の軍隊であることは事実です。膨張し続ける中国でさえ、正面切ってアメリカと直接紛争にまで発展することは想定していません。箸と主とは太いがよいといいた発想なのはわかります。

 しかし、アメリカは本土を蹂躙された経験は9.11テロのみでありながら、いつもどこかで戦争をしてきた国です。当然、恨みを買ってしまい、それを言い訳に宗教を持ち出し残虐非道を繰り返す集団が現れました。アメリカと共に歩むということは、戦争はすべてが悲惨ですが、悲惨な世界を創出する手助けをすることであり、未来の日本人に禍根を遺すことにもなります。

 集団的自衛権を限定した国家にのみ行使する、ことにアメリカに限定して行使するのはテロの標的になるためにわざわざ名乗りを上げたのと同じことです。

 それよりもまず、安全保障概念を転換させなかればならないことを国民に理解され、その後にさらなる展開を考えるのが普通ではないでしょうか。

 地域による集団安全保障体制を構築し、同盟国を増やし、相応の負担ができるよう進めるのが「順序」ではないでしょうか。

 少子化、経済後退、魅力を失う日本はそう遠くない未来に訪れるのは間違いありませn。そうなれば、日本が頼りにするアメリカは離れるでしょうし、そうなってから手を打つのは当然、後手に回ってしまいます。

 その時に、地域のリーダーとして応分の責任を担保できる国でなければ、誰も目を向けてくれなくなるのは当然です。

 今現在、安全保障を転換することは必要です。しかし、それはアメリカ・オーストラリアといった限定した国ではなく、地域に貢献する国でなければ何の意味もありません。

 それが、求められている日本の安全保障体制だと筆者は考えています。

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