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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/28/21:53

08060814 核兵器(原爆)投下は戦争犯罪

 「知らない」では済まされないことは世の中、多少はあるものです。しかし、自分の国の歴史を「知らない」でスルーするのは未来に大きく影響を及ぼすことがあります。


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 原爆、個人的には「核兵器」と呼んで欲しいのですが、敢えて今回は「原爆」という呼称にします。

 実は広島、長崎に原爆が投下されましたが、時の大統領ハリー・S・トルーマンが承認していなかったというのが歴史的事実なのです。大統領の承認を得ないまま、大量破壊兵器が実戦で使用されたのは驚くべき事実です。

 しかし、日本ではこの事実はほとんど注目されていません。

 ルーズベルトが急死し、副大統領だった経験の浅いトルーマンが大統領に昇格しました。副大統領となって82日のことです。

 外交経験もなく、全くの未知数でスタートしたトルーマン政権ですが、最高レベルの機密であった原爆開発でしたが、大統領の就任で原爆の存在を知ることになります。

 シビリアンコントロールの手本とされるアメリカですが、第二次世界大戦中は実は大統領のコントロールできない軍が先走れる状況下にありました。その一つの典型が、この原爆投下作戦です。

 トルーマンが原爆開発を聞かされたのは、昭和201945)年425日、大統領就任から約2週間ほど経っていました。

 推測ですが、あまりにも途方もない計画で、トルーマンは敢えてリアクションしなかったとされていますが、計画責任者であったレスリー・グローブスは「黙認」されたものとして開発を加速させます。

 グローブスは「目標検討委員会」を立ち上げます。委員会には科学者、軍人などでホワイトハスからは誰一人として参加していませんでした。

 委員会で日本に投下する時期が話し合われ、気象学者であるランズバーグ博士(アメリカ空軍(アメリカ陸軍航空軍)の気象や天候統計を集めるプロジェクトリーダー)が、8月が適していると説明します。

 8月が原爆投下に適しているとなり、目標の選定に物理学者マンハッタン計画の管理者の一人であったジョイス・C・スターンズ博士が、「人口が手中する地域」「直径が5km以上の広さがある都市」と具体的な投下場所を示しました。

 さらに、「8月まで爆撃を受けていない破壊されていない都市」としました。

 ここから浮かび上がってくるのは、原爆投下作戦は〝実験的〟な面があったということです。

 原爆使用により最大の破壊効果を得ることで、候補に挙げられたのは東京湾、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、山口、小倉、八幡、福岡、下関、佐世保、熊本、長崎でした。

 委員会が進み、広島と京都が有力な候補地になっていきます。

 後に公開された委員会の議事録では、驚くべき内容が見受けられます。

 「広島には広い平地があり、周りが山で囲まれているため、爆風の収束作用が強まり大きな効果が挙げられる」

 「京都は住民の知的レベルが高い、この兵器の意義を正しく認識するだろう」

 グローブスは、京都を目標にするよう推します。

 彼らは原爆により最も効果のある目標=数多くの犠牲を出す場所を選定しようとしていたのです。

 しかし、京都を目標にすることに異議を唱えたのはホワイトハスからでした。

 530日、スチムソン陸軍長官がグローブスを呼び出します。スチムソンは投下目標の候補を聴き、京都を目標とすることに反対しました。

 スチムソンはかつて京都を訪れたことがあり、京都に原爆が投下されれば一般市民の多くが犠牲になることを理解していたからだといわれています。一般市民から多くの犠牲者を出せば、ヒトラー以上の残虐行為をアメリカが行っていたと批判されるのを恐れたからです。

 アメリカによる日本の諸都市部への爆撃も、国際社会から非難される「無差別爆撃」ではないかと危惧していたといわれています。

 しかし、グローブスは京都を目標からはずすことを諦めませんでした。

 グローブスは京都に軍事施設があるとの報告書を作らせました。織物工場を紡績工場とし、京都駅は軍需物資の集積場だとしたのです。

 スチムソンは、それでも京都を目標とすることを拒絶します。グローブスはスチムソンに京都を目標とするため6回以上も訪問したと記録されています。

 スチムソンは京都への原爆投下はアメリカの国益を損なうと考えており、一方のグローブスは原爆の最大効果を実証するために京都を目標とすることにこだわったのです。

 この時のやり取りが、トルーマン政権に原爆使用に固執する軍の危うさに気が付いた時期だったといわれています。

 グローブスは巨額の国家予算をつぎ込み開発した「原爆」が使われないまま日本が敗北することは、戦後、アメリカ議会から厳しい追及があることを恐れていたとされています。

 当時で22億ドル、現在の貨幣価値は約10倍といわれており、いかに多くの予算がつぎ込まれたのかがわかります。

 ちなみに、B-29は当時でも高価な機体だといわれていますが、1機当たりの調達コストは63万ドルとされています。

 グローブスはニューメキシコ州アラモゴードで行わた「トリニティ実験」(昭和201945)年716日)後も、京都を目標とすることを諦めていませんでした。

 スチムソンがスタッフから報告があり、スチムソンはトルーマンに京都を目標からはずよう進言します(724日)。

 京都を破壊することは、日本を反米国家にすると進言し、トルーマンもこれに同意します。

 このように、原爆投下は軍が簡単に決めたものであり、アメリカ政府が行ったプロパガンダである「戦争を早期に終結させた」とする事実はありません。

 これが、歴史の真実なのです。

 私は反米を煽る気は全くありません。ただ、日米関係を全く理解せず、「トモダチ」などと軽々に言うべきではないと考えているだけです。

 歴史の真実を理解してこそ、そこから新たな関係が築き上げられますし、我々もまた歴史から学び反省し、教訓を得られると信じているからこそ、敢えてこうした事実を皆さんに伝えなければ思っています。

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