元自衛官の憂い The third
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08271423 | 正義の味方 |
女優さんの御子息が性犯罪で逮捕され、母親である女優さんが謝罪会見を開きました。
不快極まりない質問までする良識を持たないメディアの姿が浮かび上がりましたが、自立している子供の責任まで親が取る必要性はどこにあるのでしょうか?
こうした報道の仕方を見ていると、この国のメディアは本当はメディアではなく瓦版屋をルーツにもタブロイド以下だと気づかされます。
性犯罪の場合、被害者と同性であることから被害者の恐怖や苦痛を理解し、被害者に対する謝罪と、自立しているとはいえ自らの息子を他人に迷惑をかけるような人間に育ててしまったと強い後悔をしていらっしゃると思いますが、それを報道陣の前で会見まで開かなければならないということは、メディアはそれを要求しているということにならないでしょうか。最悪なのは、それが正義であるかのように錯覚していることもうかがわせます。
人の子の親として、高畑さんがどれほどつらい立場に立たされているか想像するだけで、自分がそうした立場に立たされたら会見など絶対にできません。
でも、加害者家族を責め立てて、何か得られるものがあるのでしょうか?
それを考えると、メディアの非情さがわかります。
彼らは正義を振りかざしていますが、要は「数字」を出せればいいだけのことなのです。お涙頂戴ものは大袈裟に、こうした社会悪と闘う姿は勇ましくというのがモットーです。そこにルールや良識など必要はありません。いかに自分たちが正義の味方であるかを強く打ち出します。
リオ五輪が終わりましたが、メダルを獲得すると、事前に取材していた練習の様子や、家族の支援など必ず流されます。なぜ、五輪前にこうした映像を流さないのかと腹立たしくなりますが、感動の余韻を持続させ数字を稼ぐ目的があるのがわかります。事前に放送したところで、誰も興味を示さないでしょう。“これだけのことをしたからメダルが取れた!”と訴えているわけです。
かつて大きな事故が起きた時に、「報道!」と言って現場に多くの取材陣が押し掛けて救助の邪魔になったことを筆者は思い出します。報道関係者は腕章をしていますが、あれはどこにでも入り込めるIDカードのようなものなのです。
犯罪は憎むべきものですが、加害者家族もまた違った意味での被害者ではないでしょうか。本当の加害者は裁判で実刑となれば収監されますが、家族は一生人目にさらされ「犯罪者の血が流れている」といった差別発言を受け続けるのです。
芸能界の男性グループが解散が決まったと報道され、あれこれいろいろな記事が目立ちますが、NHKでは「国民的グループ」と言っていました。「国民的グループ」とはどういう意味なのでしょうか?
どうでもいいことだと思いませんか?
女優さんの息子さんの犯罪と、グループの解散を同じ土俵で取り上げるべき問題ではありませんが、なぜかメディアは正義を演出するという共通点があります。
犯罪ではメディアは正義、解散問題では犯人探し。愚かにも程が有るというものです。
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