元自衛官の憂い The third
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07290936 | 歪んだ社会が生んだ怪物 |
日本ではなぜか「テロ(テロリズム)」という言葉を使うことにためらいがあります。
例えば、1969年7月13日練馬区投票所襲撃事件、創価学会幹部と公明党支持者が共謀し練馬区の投票所を襲撃しました。今では大宗教団体、与党ではありますが、かつてはテロリスト集団だったのです。これは、明らかに「テロリズム」とすべきですが、日本では「事件」なのです。
テロリズムの中には、政権奪取、政権攪乱・破壊、政治的・外交的優位確保、報復、政治資金の獲得、〝自己宣伝〟などを目的として行われる、暗殺・暴行・破壊活動などの手段を行使することとされています。
相模原で起きた忌まわしい事件は、「テロリズム」と我々は認識すべきです。
このような社会的弱者を標的にした大量殺戮は、絶対に許すことはできません。
私の知る限り、こうした弱者を標的にした差別や加害行為は、近代に入り行われたのはあの民族とナチズムくらいです。
報道で伝えられている限りの情報しかありませんが、犯人は父親が小学校の教諭で、犯人は大学を卒業し教員を目指していたというのですから普通の環境で育ったと推測できます。
しかし、教員になる夢が破れ刺青を入れ、彫師を目指したという大きく変わった時点から犯人は歪んだ世界に入り込んでいったようです。
なぜ墨を入れたのか、あくまでも忖度する以外に方法はありませんが、見る限り「ファッション」の域を完全に超えており、何らかの帰属意識の現われだったのではないかと思われます。反社会的な思想の現われではないかと私は思います。ひとり暴力団です。
そして、衆院議長に手紙を渡そうとする不可解な行動に出ます。なぜ、衆院議長なのか。大学まで進学した人間の行動としては、あまりにも稚拙であり不可解な行動です。
最近、日ごろは夜勤専門なのですが、仕事が切れると事務処理のために朝から満員電車に揺られて通勤しています。夜勤であれば電車が満員ということはあり得ませんし、通勤時間帯が逆方向なので椅子に座ってうたた寝を楽しむ余裕があります。
通勤電車でぎゅうぎゅうに押し込められ感じるのは、自己中心的な行動を取る人が少なくないということです。
例えば、身体を横にしてすし詰め状態から抜け出そうとか、声をかけるとかいった行動を取らない人が本当に増えています。正面から身体をぶつけてきて、電車を降りるから何でもあり状態です。
私のようなパートタイムの通勤電車利用者にとって、すし詰め状態の満員電車は大きなストレスを感じますが、それを毎日利用されている方には、私以上のストレスを感じているのは当然でしょう。だからと言って、何でもありとはならないのが日本の伝統ではなかったでしょうか。
若者だけに限らず、こうした行動が性別、年齢にかかわらず常態として行われていることが、今回の事件の根底にあるのではないでしょうか。
こうした行動が犯罪に結びつき、警察の厄介になると決まって「面倒くさかった」という釈明ともならない言葉を口にします。
熊本地震でネット上で様々な批判が噴出しましたが、自分は何もしないのに「正義」の名の下に批判し快感を得るのと変わりがありません。「正義」を執行し、自己満足を得て自己陶酔する。「うざい」という言葉は、こうした場面でよく目にする言葉です。
私が怖いと思うのは、こうした人間の変化に日本という国の態勢が対応できていないことです。
世界中で起きている若者によるテロにも共通することだと思いますが、日本以外の国ではそれに追いつこう、対応できていると見なされるものが多くあります。
しかし、先述した通り日本ではなぜか「テロ(テロリズム)」という言葉を使おうとしません。創価テロ、オウム真理教テロ、共産主義テロなどを経験してきた日本なのにです。メディアの姿勢の問題かもしれませんが、これに応じた法体系も追い付いていません。
飲酒運転撲滅を叫び、現実的には法的に「ぬるま湯状態」。どのような悪質な交通事故でも、殺人罪を適用するのは極々稀なことです。酒を飲んで車を運転し、多くの犠牲者を出したら、業務上過失ではなく殺人罪を適用しても問題はないと思うのです。
今回の個人による虐殺は、憎悪犯罪であり刑罰が重く課されるべきものと私は思うのですが、日本ではヘイトスピーチに対する規制がようやくできたばかりです。社会はヘイトスピーチ以上の行動を取る者が現れているにもかかわらず、国家として日本は何ら対応できていません。
日本は第三者的に見ると不思議の国です。
憲法や法律など、お上のこしらえた物は後生大事に守ろうとする一方で、社会一般では欧米に並ぶ病んだ社会でも、そこには一切目を向けない。欧米とは違った伝統文化があるにもかかわらず、それを一切守ろうとせず、過去の産物を後生大事に守ろうとする姿は滑稽であり、悲哀すら感じます。
今回の事件は、こうした歪みから生まれた怪物と見るのは間違ってはいないと自己満足に浸っています。
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