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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/28/02:45

11071027 海洋国家としての義務

海上輸送は大量の物資を輸送でき、大きな国家では船舶による輸送が不可欠となっています。

こうした船舶の安全を確保するために「海軍」が創設されました。海軍力とは海上通商路の維持であり、歴史的には海軍力=国家の盛衰と一致することが多くあります。

一方で、平時の海軍は外交と広報活動を担っています。海軍の行う外交、広報活動は情報戦や心理戦の一つと解釈していいものです。日本に来航したペリーなどは、この砲艦外交の典型例です。

広報活動は親善活動で、現地での親睦交流を行い外交官として海軍、ことに士官たちは誇りを持っています。


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世界四大文明、メソポタミア、エジプト、インダス、中国の4つの文明です。「世界四大河文明」とも呼ばれます。

メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川にはさまれた地域、エジプト文明はナイル川下流域、インダス文明はインダス川流域、中国文明は黄河、長江のほとりで発展しました。

川の周囲の土地は肥沃で、作物を育てるのに適しています。人間の生活に必要な水の確保も容易であり、川を使っての移動、大量輸送と川がもたらした恩恵は多くあります。

やがて技術躍進などにより、海に面した国では海を利用して様々な活動をするようになりました。

外洋への進出で海軍の役割も変化し、大洋を越えての活動が求められるようになりました。

海上輸送の発達は船に積まれた「富」を狙う集団や組織ができ、通商の権益を巡り敵対する関係も生まれるようになりました。

こうした動きから「海軍」が必然的に誕生しました。

海軍は自国の海上輸送路の安全確保、安全をおびやかす敵の撃破です。

アルフレッド・セイヤー・マハンが『海上権力史論』の「海洋国家論」「海上権力理論」で「海洋国家」という言葉に注目しました。「世界大国となるための絶対的な前提条件は海洋を掌握すること」「大陸国家であることと海洋国家であることは両立し得ない」としました。

「海洋国家」とは19世紀後半に地政学で使われるようになった「大陸国家」の対義語です。大陸国家が国家の力の源泉と生存、繁栄の基盤を「陸」に求めるのに対し、海洋国家は「海」にもとめるものです。

大陸国家は陸地の国境線を他国と接しているため、外敵の侵略から長い国境線を守るために巨大な陸軍を必要としました。巨大な常備陸軍を維持するためには強権的な政治体制が必要でした。

大陸国家は閉鎖的、保守的、個人の自由より国家の秩序と安定を重視します。農業経済が中心で、農民は労働力であり兵力となります。

大陸国家にとって「海」は大きな障害物です。大陸国家の海軍は海から来る外敵の接近阻止、陸軍の支援が主な任務です。

海洋国家では国境線が外敵と接しいないため、巨大な常備陸軍を必要とせず、自由主義的な政治風土を持つ傾向が強く、社会は開放的で、個人の自由が尊重されます。経済は海を利用した交易がおこなわれ、積極的に海外に市場を求めます。

海洋国家の海軍は海賊や敵対国から商船を守り、戦争となれば敵対国の通商線破壊を行い、海からの敵対国に戦力を投射します。

日本は四方を海に囲まれ、外部との接触は限られたものだけでした。幸運なことに、隣接する大陸国家の王朝とは敵対関係にならず、過去の外敵が日本に迫ったのは元寇だけでした。

こうした影響から、日本は封建社会であり、農耕社会でした。こうしたことから、武士団が形成され、武士団同士の勢力争いのみが続けられました。

西欧列強との接触は、膿を越えて来る「脅威」は初めてで、日本はそれまでに築き上げたものを変える必要に迫られました。

海洋国家である西欧列強が脅威であると認識する前、スペインやポルトガルなどの宣教師、オランダやイギリスの承認により西洋の技術や文化が持ち込まれ、この中に「火器」があり、戦国武将は戦術を転換していきます。

徳川幕府は公にはしませんでしたが、西欧列強を「脅威」とみなし、鎖国政策を採り西洋の脅威を排除しようとしました。

「鎖国」は日本には適さないものでした。

鎖国は海外との接触を絶ち、国家を守るものです。これは、大陸国家の考え方です。海洋国家でありながら、それに気付かず放置し続け、その歪みが一挙に噴き出したのが明治維新でした。

鎖国が長年にわたり続けられたのは、当時は西洋列強の海軍力がまだ整っておらず、日本の鎖国の間に技術の発展と海軍の増強により、それを利用した砲艦外交に始めました。その餌食になったのが、徳川幕府でした。西洋列強は「脅威」であり、その文明は日本の下級武士にとっては「革命」を実行するだけの強烈な刺激となったのです。

下級武士による革命が成功すると、彼らは明治政府を立ち上げ「富国強兵」を掲げ、産業の育成、積極的な貿易、海軍力の整備を始めました。「海洋国家」として日本が歩み出した瞬間でした。

このように日本は海洋国家ではなかったのです。現実的には「海洋国家」でしたが、そうした現実に目を向けてこなかったのです。

日本国憲法第9条に注目すると、大変興味深いものがあります。

一国だけの平和主義、孤立主義的な思考と捉えられますが、これは海洋国家ではなく大陸国家の考えではないでしょうか。

日本が仮に大陸国家として国家運営を続けることは可能です。

それには、強大なアメリカ海軍の「力」が不可欠です。しかし、アメリカ海軍のパワーは絶対なものではなくなりました。海賊や難民船の難破などが、その証です。

一方では、脆弱となったアメリカ海軍に挑戦をしているのが中国です。絶対的であれば、中国は大陸国家として生き延びる道を探していたはずですが、アメリカ海軍が力が落ちたと見るや、大陸国家から海洋国家への舵を切りました。

こうした視点から、日本は今、そして将来的に何をすべきかおのずとわかると思います。それに手を付けなければ、どうなるかは歴史が教えてくれることです。

海洋国家ニッポンになれるか、それが大きなカギとなると思われます。

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