元自衛官の憂い The third
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10281548 | 狭小な見方は捨てよう! |
極東軍事裁判、いわゆる東京裁判で死刑判決を受け処刑されたA級戦犯のことが持ち出されることがあります。
個人的には、戦犯(戦争犯罪)は裁かれるべきものと認識していますが、それは戦勝国が裁くものではなく、日本人により裁かれるべきものと解釈しています。しかし、当時の政治家や軍人を「有罪」とできる法律は存在しません。
A級戦犯を擁護するかのような見解が右翼思考(指向・嗜好)から出されます。東京裁判の判決を鵜呑みにし、唯々諾々と戦争中の戦勝国の解釈を受け入れる人を「東京裁判史観」とも称します。
筆者はこれはとんでもない間違いだと考えています。
最悪なのは、ラダ・ビノード・パール判事の主張が「親日家で日本に有利な主張をした」「反白人主義のため欧米に不利な主張をした」といった解釈もありますが、これはとんでもない事実誤認です。
東京裁判では、パール判事だけでなくアンリ・ベルナール判事(仏)もまた東京裁判を批判しています。
ここまでくると、事実誤認ではなく意図的な曲解であり悪質なものです。
まず、東京裁判は「裁判」として成立していません。
「法の不遡及」という大原則を無視し事後法で、指名した戦争犯罪人を裁いたのですから、これは戦勝国による処刑です。
法の不遡及とは、実行時に違法とされていない行為を、事後に定めた法令により遡って違法として処罰することを禁止するものです。
これはパール判事の意見書で見られるものです。パール判事を評価するのであれば、「司法裁判所は政治目的を達成するものであってはならない」と意見を述べていることです。
パール判事の言葉を借りれば、東京裁判は法の不遡及、政治目的のための「裁判」と呼ばれた行為だということです。東京裁判は「裁判」として成立していないということになります。
一方、アンリ・ベルナール判事は「正義は連合国の中にあるのではないし、その連合国の誰もが連合という名の下にいかなる特別な敬意を受けることができるわけでもないのだ」と述べています(ベルナール判事の東京裁判批判は機会があれば探してみてください)。
このように、裁判でもない茶番劇に固執している人、それを真に受けて処刑された政治家・軍人を擁護する人、どちらも滑稽な姿に見えるのは私だけでしょうか。
どちらにも共通するのは、「裁判」という処刑するためのショーを受け入れているということです。
東京裁判の判決などに反対したのは、パール判事、ベルナール判事だけではありません。
ベルト・レーリンク判事(蘭)もまた東京裁判に否定的な見解を主張しています。
受容・拒否ではなく、東京裁判とかつての戦争を理解してこそ、中韓と向き合えるのであり、反論もできるようになるのではないでしょうか。
それをせず、ドイツを見倣ったり、中韓の主張を受け入れることだけが平和な世界を築けるとは思えません。
こうした錯誤を乗り越えてこそ、日本の正しい未来があると筆者は信じています。
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