元自衛官の憂い The third
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12270953 | 生前退位について考える |
ようやく陛下の生前退位の方向性が決まったようです。読売新聞が御厨東大名誉教授にインタビューしていますが、相変わらずよくわからない主張をしています。「皇室典範」改正は難しいというのです。
今回は退位についてお話します。
まず、天皇が終身制になったのかについてです。
歴史的には終身制にしたのは、明治新政府です。
皇室典範
第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
「皇嗣(こうし)」とは跡継ぎのことです。
これは、大日本帝国憲法下の旧皇室典範第10条を引き継いだものです。
第10条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク
これは、伊藤博文、井上毅、柳原前光らが明治20(1887)年に行われた「高輪会議」で話し合われたもので、伊藤博文が終身制を主張したのが採用されたとされています。
伊藤は大日本帝国憲法はプロイセン王国やベルギー王国の憲法を参考に作成したといわれ、ヨーロッパでは議会制度も含む政治体制を支える国民統合の基礎に宗教があることを知り、宗教に替わる機軸として天皇制を利用しようとしたのです。
その地位を不動のものとするために、天皇を終身制としたといわれています。
つまり、現在の皇室典範は旧皇室典範をそのまま踏襲しているだけなのです。
終身制とともに「万世一系」についても論じられるようになります。皇室を永続させることで近代化を促進させようと、明治の偉人たちは様々な主張をしています。
時代の変化とともに、「万世一系」を共和制や共産主義革命を否定する根拠に利用さるようになりました。日本は君民一体の国家であり、他国のように臣下や他民族が皇位を簒奪されず、臣民は天王を尊崇してきたという歴史観を植え付けました。
やがて、これを国粋主義者や軍部タカ派が利用して日本は神の子孫を戴く神州であり、世界でも優れた道義国家であるとされました。「皇国史観」と呼ばれるものです。
「退位」は昭和天皇も多く論じられ、ご自身もまた考えていらっしゃったようです。
終戦で東久邇宮稔彦王が首相となり、近衛文麿が副首相格として政権に返り咲きました。東久邇宮政権で近衛文麿は、昭和天皇の退位の可能性を口にするようになります。AP通信の記者に、「日本の皇室典範には退位の規定がない」と語り、暗に皇室典範の改正と退位を示唆するものでした。
近衛はさらに、「国民投票による天皇制維持」も模索しており、当時の皇太子昭仁親王(現陛下)に譲位し、高松宮を摂政にするという目論見があったともいわれます。
しかし、GHQは昭和天皇退位を快く思ってはいませんでした。マッカーサーは占領政策を滞りなく進めるためには、昭和天皇存在が必要だったのです。
一部では、近衛を葬り去っても昭和天皇を在位させようとしたいわれます。
昭和天皇の退位論は、これだけではありませんでした。昭和天皇弟宮である三笠宮からも「退位」が求められました。
そして、東久邇宮もまた退位を口にするようになります。
こうした退位論を前に昭和天皇の様々な反応が伝えられていますが、実は昭和天皇自身もまた退位を考えていました。
終戦が決まった直後、東京裁判判決後、占領修了後と退位を考えていたとされます。
しかし、それを阻んだのは占領が成功したとアピールすため、共産主義の浸透を警戒した米国でした。
昭和天皇の海外訪問は、第二次世界大戦のイメージを払拭するためが第一の目的でした。
このように、戦後のツケを皇室に押し付けてきた日本国政府の姿が浮かび上がります。
安倍首相は憲法を「押し付け憲法」と主張し、自主憲法制定を目指しています。しかし、皇室典範という法律改正には後向きで、何も手を付けないようにしようとしているのがバレバレです。
国民を代表しているとはいえ、国民の総意で天皇陛下、皇室を尊崇する我々は、国会議員より以上に真剣に考える時が来ているのです。お断りしておきますが、政府や権力者に利用される天皇という存在を、我々は解放すべきなのかもしれません。
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