元自衛官の憂い The third
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08121858 | 真実を埋もれさせる陰謀論 |
昭和60(1985)年8月12日(月)18時56分、日本航空ボーイング747SR-100(ジャンボジェット)羽田発伊丹行きが、羽田空港離陸後群馬県多野郡上野村山中に墜落しました。
現在、ネットで「日本航空123便事故」と検索すると、陰謀論ばかりがヒットします。大きな事件・事故・災害の後、必ずこうした陰謀論が出てくることは今では決まりごとのようになってしまっているのは残念でなりません。
123便墜落事故では、自衛隊によるミサイル誤射、標的機の衝突など様々な主張がまことしやかに流布されています。
なぜ、こうした陰謀論がまことしやかに語られるのか…墜落場所の特定に時間がかかったというだけのことが理由と思われます。
陰謀論とされる見解を語るのが軍事スペシャリストではありません。中には航空機のスペシャリストも存在はしますが、前例のない航空事故を、これまでに知られえいる事故等の事象で片付けようとするのは陰謀論どころか暴論ではないでしょうか。
乗員15名、乗客509名、死者520名という航空機事故として最多の犠牲者を出し、単独機の航空事故でも世界に例を見ない大きな事故でした。
それを、陰謀論や暴論で論ずることは犠牲者への「冒涜」ではないでしょうか。事故を冷静に見つめ、真実を突き詰め、再発防止を目指すべきが第一ではないでしょうか。仮にさいはつするような事態を迎えても、被害を最小限にとどめる努力も当然必要です。
当時を知る者として言いたいのは、日本のメディアは稚拙です。現在もなお成長したかけらすら感じません。稚拙なメディアが、陰謀論者たちを炊きつけている側面も否定できません。
事故直後、機長の遺族に対し質問攻めを繰り返しました。少しでも航空機をパイロットであれば、いかに123便の機長をはじめとするクルーがどれほどの努力を重ねたかわかるはずです。それをせず、遺族に対し責任を追及するかのような言葉は無責任どころかメディアと言えるレベルではありません。
陰謀論者の御説を取り上げて、一つ一つ否定すべきかもしれませんが、どうしても筆者はまともに相手する気にはなれません。
陰謀論の陰に隠されてしまっていますが、事故後、迅速な対応を見せ、慰霊の園を建設し永代供養することを決めた一人の人物をご紹介しておきます。
黒澤丈夫元海軍少佐
海兵63期、第29期飛行学生、零戦パイロット、飛行長として活躍しました。
復員後、上野村村長となり、事故直後から自衛隊・警察・マスコミの受け入れ態勢を取り、迅速かつ的確な指示をしました。村長の対応ぶりは、日航側、遺族側から信頼を寄せられたそうです。
黒澤元村長をヒーローとすることは容易ですが、こうした人物たちの功績を埋もれさせるのは人間として許していいのでしょうか。そんな思いを抱く8月12日です。
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