元自衛官の憂い The third
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06180800 | 自然災害や戦争では保険金は支払われません |
自然災害や戦争で死亡・高度障害に至った場合、保険金の支払いは免責されます。意外と知られていない〝事実〟です。
安保法制が国会で議論されていますが、自民党の回答は禅問答にしか聞こえません。
例えば、「自衛官のリスク」です。これを否定的に論じる識者が少なくないのは悲しむべき現実です。「法案つぶしを狙う自衛官の命を気遣う偽善」と言ってのける識者まで存在しています。
確かに自衛官は様々な立場で宣誓します。隊員は「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」と宣誓します。
〝事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め〟なければならないわけですから、事が起きれば命を惜しむなというわけです。
軍事作戦の天才といえども、軍事作戦に犠牲はつき物です。犠牲ゼロなどいう作戦は、現実社会では存在しません。そんなものは幻想です。非武装中立が平和を生むなどという左翼思想家と同じレベルです。それが、保守層の識者から出てくるのですから、「お前は前線に立たないから何でも言えるよな!」です。
私は何度も書きましたが、集団的自衛権は必要です。しかし、単なる米国のポチになるようなことは絶対にしてはいけいことです。
さらに、自衛官のリスクを考えないことは、かつて戦局を挽回できると妄信し、重要なはずの兵器である航空機を使い特攻を命じた指揮官と変わらない低レベルな思考です。
自衛官にだって家族はいます。仮に自衛官が犠牲となった場合、家族に対しどう補償するのか、そうした後顧の憂いを無くすことは国家としての責務です。
それを「リスク」を語ることを非国民のように扱うのは、何様のつもりなのでしょうか?
ちなみに資料を漁ってみたところ、かつての帝国軍人には「恩給制度」がありました。「普通恩給」「増加恩給」「傷病年金」「一時恩給」「傷病賜金」「扶助料」「一時扶助料」とありました。手厚く補償されていたわけではありません。
この恩給に「靖国英霊の家」という札が来たようです。
政治家が「治安維持活動」などと言って安全であるかのようですが、ちょっと真面目に考えれば、いかに危険な場所かわかりそうなものですが、お答えになる政治家たちは無頓着なのか、はたまた官僚のメモを棒読みしているのか現実を理解していません。
「治安維持」しなければならないほどの地域ですから、いつどこから弾が飛んでくるか、爆弾が破裂するかわからない場所となります。そこは犯罪抑止の治安維持ではなく、武器弾薬が溢れる戦場に近い、ちょっと前までには戦場だった地域の治安維持活動なのです。どれほど危険かわかるはずです。警察活動ではないのです。
治安維持活動には、敵対勢力の掃討も必要になります。つまりゲリラ掃討戦です。
道路には無数のバリケード、要所要所には検問所。そこへ銃弾どころか、RPGが撃ち込まれることが考えられます。自爆攻撃の標的にもされます。
陸自のレンジャー訓練では、敵後方に潜入し様々な破壊活動を行うことを想定しています。これは、正規部隊同士でさえこうした作戦が実行されるのですから、今後、自衛隊が派遣されるであろう中東などのイスラム過激派との戦闘となれば、過激派は少数でゲリラ活動を行いますでの、安全な場所などないのが現実です。
後方支援などと素人がさも安全かのように言いますが、それだけではありません。攻撃されたら「逃げます」というのですから、これは前線で戦う米軍にとって利敵行為、つまり敵に寝返ったのと同じ、敵前逃亡です。敵前逃亡は多くの軍では、即決で銃殺されます。
それならば、OBとしては「臆病者」と罵られていたほうが楽です。
自衛隊が検問する検問所への攻撃ならば、正当防衛・緊急避難で対応もできますが(戦場では戯言です)、補給部隊の車列に敵から攻撃を受けた場合、どうするのでしょうか?
私が補給部隊を率いて攻撃を受けたら、死傷者が出ても車列を絶対に止めず応戦しながら友軍の陣地まで向かいます。補給物資を届けられますし、重武装の友軍に保護されるのですから、誰が指揮官であっても友軍陣地に向かうはずです。
しかし、この攻撃の場合、反撃できる法的な根拠は存在しません。武力行使には、「我が国、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされた場合」のみ武力行使が可能とされており、正当防衛・緊急避難で対応するしかないのです。
理解されるのは難しいと思いますが、仮に敵が自動小銃で攻撃したきた場合、反撃は自動小銃以下の殺傷力を持つ武器でしか反撃できません。陸自の装備するカールグスタフで榴弾で反撃したら、過剰防衛となります。イラクで使用された即席爆発装置で被害が出れば反撃すらきないのですから、「アンラッキー」なだけです。
政府は様々な状況想定を行い、官僚ではなく制服組を交えて対応を練るべきで派遣ありきの法整備など無駄ということに気がつくべきです。
「自衛隊のリスクは高まらない」と防衛大臣は臆面もなくOBでありながら言ってのけますが、かつてドイツでこんなことがありました。
1995年、憲法解釈からNATO領域外への派兵ができないとされたドイツで、ボスニア紛争に派遣しようとした際、国会は大激論となりました。
その場で、野党議員から「もし兵士の棺が戻る事体となったらどうするのか」と質問が出ました。日本では、「リスクは変わらない」ですが、当時のドイツ外相は「そういうケースはあり得るでしょう。ただその時は、国防大臣と共に、棺の傍らに一晩立ち続け、殉死者を悼み続ける」と泰然と応えたそうです。
外相のこの一言で野党から造反者が出て派兵は可決されたとまでされています。
私たちは東日本大震災で「安全神話」のあったことを知りました。日本には危機管理能力がないことも知りました。政治家(官僚)は国民の危機よりも政争に走ることを知りました。
東日本大震災で本当に国民のことを考え、危険を顧みず行動したのは、政治家でも官僚でもなく、自治体職員、地元消防団、警察、消防、自衛隊、隣近所のおじさん・おばちゃんだったこをハッキリと記憶しています。今こそ、立ち上がるべきではないでしょうか。今、立ち上がらなければ日本は未来は米国のポチです。
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