元自衛官の憂い The third
軍事的色眼鏡で見る世界
軍人は究極の合理主義者です。
合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。
軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。
家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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08100855 | かつての戦争を考えよう |
戦争とは「無知」「錯誤」から始まり「愚行」「狂気」「残忍」な行為が平然と行われるようになると言われます。
日本人がそうだったとよく言われますが、日本と戦ったアメリカ、イギリス、オーストラリア、ソ連などに「愚行」「狂気」「残忍」ではなかったのかはほとんど論じられることはありません。
アメリカは広島・長崎に人類史上初の核兵器を一般市民に使用し、都市を無差別に爆撃を繰り返しました。オーストラリア・イギリスは戦犯裁判に執着しました。ソ連は国際条約を無視し、日本に宣戦布告し在留邦人に残虐行為を繰り返しました。
戦後、日本では『戦陣訓』が捕虜になるのを拒み、多くの軍人が万歳突撃を行い自決し、沖縄などでは住民に自決を強要したとされています。
第八 名を惜しむ
恥を知るもの強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。
戦陣訓で万歳突撃し傷を負えば、捕虜になることを恥として自決したと思われがちですが、本当にそうなのでしょうか。
アメリカは戦場で過剰な攻撃が行い、日本人捕虜を極力取らないようにしていることを確信しています。傍証としてリンドバーグの日記があります。
戦争が起こる原因(理由)は単一ではありません。様々な原因が積み重なり、それがある一点を超えて戦争となります。
東京裁判の検事が石原莞爾に尋問した際、検事に対し石原が戦争責任をどこまで問うのかと尋ね、検事が「日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に、石原は「それなら、ペリーをあの世から連れて来て、法廷で裁けば良い。もともと日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。日本に略奪的な帝国主義を教えたのはアメリカ等の国だ」とやり込めたと伝えられています。
(日米が)戦争となった理由の一つとして、石原の考えを否定することはできません。
たとえば、戦争回避のため日米交渉が続けられましたが、アメリカの対日要求三項目があります。
1、満州国を含む支那大陸、及び仏印から軍隊、警察の全面撤退。
2、大陸に於ける総ての権益の放棄。
3、三国同盟の廃棄。
1、2はある意味納得できます。大国の理屈です。ですが、3、三国同盟の破棄は日米間で問題となるものではありません。これは、常識的に考えれば理解できるはずです。
この要求がなぜ出されたのか。ユダヤ人を迫害するナチス・ドイツに加担する日本という存在を外したかったからです。これが、アメリカ政府の要求かというと、そうではありません。
表向きの歴史は、日米外交は民間外交を起点にして、その後に正規の外交ルートに乗せられたという経緯が持つとされています。
発端となったのは、1940(昭和15)年11月25日、アメリカのメリノール宣教会から二人の神父が来日しました。神父は元ブラジル大使沢田節三、産業組合中央金庫(現:農林中央金庫)理事井川忠雄(近衛文麿側近)宛の紹介状を持っており、沢田、井川の仲介で各方面の要人と面会しました。
来日の目的は日米関係の改善でした。紹介状はアメリカのクーン・ローブ(商会)のものでした。クーン・ローブは、日露戦争で日本の外債募集に貢献したジェイコブ・シフが頭取を務め、ユダヤ人問題に様々な支援を行っていました。
帰国した神父たちは、ハル国務長官、ウォーカー郵政長官、ルーズベルト大統領に経過報告を行い「日本提案」という覚書を提出し、その内容は三国同盟破棄、中国国内の停戦、極東モンロー主義の承認、米国経済関係の回復などでした。
ユダヤ人を迫害するドイツとの関係を断たせることが目的だったことがわかります。
前述した石原莞爾のペリーの責任問題ですが、日本はペリー(アメリカ)からの外圧を受けて近代化を進め、自国の国土・資金・資源だけではどうにもならず、帝国主義国家へと変貌します。
アメリカもフロンティアが喪失し、ハワイ、フィリピンなどを併合し植民地獲得に乗り出します。フロンティア喪失で経済発展の限界が見えたアメリカもまた帝国主義国家へと変貌を遂げるのです。
このように日米が戦争へと進んだ理由は一つだけではなく、それぞれの理由が複雑に絡み合い戦争へと突き進んだのです。
歴史は私たちに進むべき道を教えてくれます。歴史から学ぶことを放棄することは、私たちが未来への責任を放棄することです。
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