元自衛官の憂い The third
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08151200 | 靖國神社と敗戦の日 |
今日は靖國神社の周辺はとても賑やかなことでしょう。
威勢の良い靖國信奉者である某女性閣僚は、何の説明もなく続けて来た靖國参拝を取り止め海外へ。これまで威勢良く、厚く靖國を語ってきたのですから説明責任は当然あると思うのですが、しょせんはただの煽り屋なんですよね。
まず靖國神社の歴史をご紹介します。
靖國神社は戊辰戦争後の慶応4/明治元年(1868)年に戦没した官軍将校の招魂祭を江戸城で行ったり、太政官布告により京都東山で戦死者を祀ることが命じられたりなど、幕末期の戦没者を慰霊・顕彰する動きが活発になりました。
これに合わせて、慰霊・顕彰する施設である招魂社設立の動きも各地で起きました。こうした動きから大村益次郎が東京に招魂社創建を献策すると、明治天皇の勅許を受け明治2(1869)年、現在の靖國神社敷地での招魂社創建がきまりました。
戊辰戦争の戦没者(官軍のみ)3,588柱が祀られました。
明治12(1879)年「靖國神社」と改称されましたが、内務省が職員人事を有し、陸・海軍省の共同管理という完全な官製神社でした。
戊辰戦争で賊軍と蔑まれた先祖を持つ人にとって、先祖が祀られてもいない靖國神社を有り難がることはまれです。
問題なのは、昭和になって国粋主義や軍国主義が台頭し、神道を利用して愛国心教育に利用。神道以外の宗教を弾圧する傾向が見られるようになりました。やがて、神道以外の信仰を持つ生徒・学生に対し、学校教練(生徒・学生に対する軍事訓練)の一環として靖國神社参拝を義務付けるまでになりました。
ここです。この辺りの経緯が説明もされていませんし、当然、反省もしていません。
靖國神社を使い国民の死の恐怖を感じさせないようにすることは、何ら国民が国を守ろうとする意識ではありません。中世ヨーロッパの王権神授説時代を再現したのが、靖國神社を利用した覇権国家日本なのです。
閣僚が靖國神社を参拝するのも、昭和44(1969)年に靖國神社を国家管理する法案を国会に提出したものの廃案となり、以後、昭和48年まで5回にわたり法案が出されましたが審議未了のまま廃案となり、自民党は閣僚が参拝することで始められたのです。今では遺族会の力も弱まりましたが、当時は票田としては魅力ある遺族会でしたので自民党の当然の動きと理解できます。
靖國神社とは、自民党のセンセイ方にはそんな程度のことなのです。ですから、参拝を続けてきたと自負していた某女性閣僚は参拝できない理由を説明せず機上の人となったわけです。
そんなことより、国民に現実の話をして理解が得られるようにして欲しいものです。戦争とまでは現時点ではエスカレートしないまでも、日本に何かしようと企む国家が少なからずあるのです。掠め取って今では大統領までそこへ行って日本を挑発したり、弾道ミサイルを日本近海に撃ち込んできたり、南の果てでは島を掠め取ろうとしたり、そんな国に囲まれているのです。
いつまでも加害者だとか被害者だとか言っていると、身ぐるみ剥がされることになるのは目に見えています。身ぐるみ剥がされるだけならいいですが、母国語まで変えられる羽目にならなければいいと願う事態が今ここにあるのです。
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