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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/25/11:12

08230939 慰安婦問題もいいですが…

彼の国のみなさんは、反日=愛国=善という精神構造で我が国に向き合っています。

少し前には、「歴史を忘れる民族に未来はない」と横断幕がサッカー東アジア杯の日韓戦で観客席に飾られました。

というわけで、歴史を勉強してみました。


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万宝山事件

ご存知の方は少ないと思います。地味なものですし、日本の偏った歴史教科書は日中戦争に向かっていた時代の事件など書かれてはいないからです。

万宝山事件とは、昭和672日長春の万宝山で起こった、入植中の〝朝鮮人〟と、現地中国人農民の小競り合いから日中の官憲が出てきて日本の警察と中国人農民と衝突した事件です。

当時、日本は満州の権益を持っていました。昭和55月に間島共産党暴動で追放された朝鮮人200人を万宝山に入植させました。

朝鮮人たちは水路を引き開墾を始めると、水路を引くことを中国人地主の了解を得ておらず、地主は中国の警察に通報しました。中国警察は朝鮮人10人を逮捕。即時、工事中止を求めました。

この事態に、長春日本領事館が警察官を送り朝鮮人の保護に乗り出しました。当時、合邦されていた朝鮮は、朝鮮人=日本人だったため日本人として扱おうとしたことがうかがえます。

彼らの言う「植民地支配」では起こり得ない事件です(論理破綻は毎度のことですが…)。

7月になり中国人農民が武装して数百人が集結。この事態に日本の警察官50人が武装し、〝朝鮮人〟を保護するために出動し中国人農民と対峙しました(韓国人の理屈に合わないことになります)。中国警察が仲介し、中国人農民と日本の警察官の衝突にはなりませんでした、711日に水路は完成します。

この事件を「朝鮮日報」は〝朝鮮人が衝突で亡くなった〟と報じ、この「誤報」をきっかけに朝鮮半島内で反中感情が悪化し、中国人排斥運動が起こります。

(さらに植民地支配が怪しくなりますが)朝鮮半島だけにとどまらず。日本の在日朝鮮人が在日中国人を襲うという事態に発展します。これで、彼らの主張する「日本の植民地支配」は崩壊ですが、海外でまで中国人に暴力を加えるとは日本人には考えられません。

「らしい」と感心させられるのは、朝鮮日報の長春支局長が「日本の情報に基づいて記事を書いたが誤報だった」を714日に謝罪文が掲載されましたが、翌日、長春支局長は朝鮮人の手で銃撃を受け死亡します。

わかりやすく言えば、「朝鮮半島は植民地ではなかった」「中国大陸で日本人として傍若無人な振る舞いをしていた朝鮮人」という悲しい結論が導き出されます。

当時を知る人の記録を読んだことがありますが、中国人に悪さをしていたのは朝鮮人だったという人もいます。それが、国籍は「朝鮮」ではなく「日本国朝鮮」だったため中国人は日本人を侮蔑するようになったというのです。

事の真偽はわかりませんが、こうした事件が浮かび上がってくるということは、朝鮮人と中国人の衝突はこの事件だけということは絶対にあり得ません。

安倍さん、岸田さん、韓国にお金を恵んでやる前に、この事件について韓国の歴史認識を朴槿恵さんに100字以内で説明を求めてはどうでしょう。答えによっては、10億に多少イロ付けもあり、逆にマイナスもありというふうにしたら、またお金を恵んでやることに日本人も納得する人が多少は増えるのではないでしょうか。

一説には、日中間の衝突の陰には「朝鮮人」の中国人に対する差別的行動があったとするものもあります。

お話した万宝山事件の影響が朝鮮半島内で活発な反中行動を起こす朝鮮人が多くいました。昭和674日仁川を中心に中国人襲撃事件が起きました。100人以上の朝鮮人が40人の中国人と衝突、朝鮮人1人が死亡、中国人1人が負傷。中国人住宅の放火などがおきました。

この衝突をきっかけに、数千人の朝鮮人が集まり暴動となり、交番を襲撃し破壊、電線などを切断。朝鮮総督府は警察官を武装させようやく暴動を解散させることができました。

5日には朝鮮人を刺激しないよう新聞・通信社に総督府は通達します。これは、朝鮮半島内の言論の自由が存在していたことになります。平壌では6日にかけて数千人の朝鮮人が中華街を襲撃、中国人88人を殺害、102人が負傷。警察が発砲し、朝鮮人1人が死亡しました。

総督府は事態収拾のために補助憲兵の支援を依頼し、現地駐屯部隊から51名が派遣され、警察官も増派されましたが警察官35名が負傷しました。さらに仁川では警察官と朝鮮人が衝突し、警察官30名が負傷、騎馬隊の馬も5頭がケガをするという事態となりましたが、朝鮮総督府は被災者の収容に尽力します。

しかし、朝鮮人による中国人襲撃事件は日本国内でも起きるようになります。中国国内では朝鮮人と日本人が中国人を殺害しているという反日に利用されてしまいます。

相変わらずですが、彼の国の歴史を見るとシュールな事実が浮かんできます。日本人は切り札で「慰安婦」が持ち出されると黙りこくりますが、自信を持って歴史を学び反論すべきです。

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