元自衛官の憂い The third
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07281021 | [PR] |
04290910 | 日米首脳会談 |
冷戦の終結以降、91年にソ連の崩壊から24年になりますのが、ようやく動き出した日本の外交です。24年という長い時間を無駄にする米国追従という国益を無視した米国のお先棒担ぎで先に進めようとしています。
個人的には日本の国際的な役割の大きな変化から、当然逃れることができません。しかし、米国追従はグローバルな視点に欠けており、井の中の蛙を抜け出せないことは不幸であり、そこに国民不在という事実は拭いようがありません。
冷戦後の外交戦略の転換は、明治維新ほどの劇的な変化を追及すべきだと思いますが、日本の外交当局にはそうした能力も決断力もなくズルズルの米国追従を選択したことになります。
中国は日本に対抗意識を燃やし、習近平は外交政策を誇大に見せていますが、一歩間違えれば国内のナショナリズムを高揚させ反日一辺倒になりかねない危険性を内包しています。
だからと言って、長い時間放置しておきながら、ようやく手をつけた外交戦略の転換はすでに東アジアの緊迫化で時間的猶予がなく新しい戦略を身に着けようと急ぐ余り、憲法改正の手順を踏まず集団的自衛権行使容認に踏み切り、協力強化という名の米国の肩代わりという失態を演じています。
日本国内に外交という、より現実的な問題解決に、宗教のような夢想の平和主義がはびこり、大きな変化を望まない声が多くあります。
自分が無防備であれば、敵は現れないという平和主義は現実を無視したものです。こうした理屈は、消防機関が無ければ火事は起きない、警察機関が無ければ犯罪は起きないというのと同じです。
その上、敗戦に対する代償として駐留軍を容認するのはしかたないことだったのかもしれませんが、国防という自らが血を流す努力を怠り、その代わりとして経済成長を優先させた日本ですが、経済成長が鈍ると当然、それまでの発言力は低下し、今度は発言力の低下の代償を払わなければならなくなりました。
私がなぜいま必要とされる外交戦略の転換を「明治維新」に例えるかというと、明治維新の最大の目的は国家の自立だったからです。自立が最終目的であるはずが、安倍首相が選んだのは米国追従という選択なのです。
讀賣新聞に「戦後70年「和解の模範」」という文字が躍っていましたが、事実はまったく違います。
人類に対する核兵器の使用という事実、日本の都市部に対する無差別爆撃、何ら米国の行いに対し謝罪どころか、その事実に対する議論も封じ込め、「友好」から「同盟」、そして世界平和への連携など不自然な親密さの演出の裏に何かあると考えなければならないのに、その疑問すら存在を無視している安倍政権の愚かさと恐ろしさがあります。
今回の日米防衛協力の指針の転換は、アジア重視の「リバランス」を掲げる米国は中国の東シナ海や南シナ海への進出に対抗するものですが、日本は「このままでは日本を守ってもらえない」と焦っているのとは対照的に、財政難から国防予算を削減する米国は米国の負担を日本に肩代わりさせるだけでなく、オーストラリア、韓国との米国を中心とする同盟国同士の多国間協力を目指す思惑があります。
日米間の思惑は大きく違うにもかかわらず、日本では裏事情は一切表には出てきません。
離島防衛に米国を巻き込めるかのような内容もありますが、仮に日中間で紛争状態となった場合、米国は自国の国益を優先させるため、その時になってみないと介入するかどうはわかりません。にもかかわらず、日本は自衛隊を米国のお先棒担ぎに使ってくださいと申し出たというのが今回の状況です。
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