元自衛官の憂い The third
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03110858 | 東日本大震災 冷静になれた理由 |
今から5年前、3月11日14時46分東日本大震災が発生しました。
筆者にとって、大きな転機となりました。“いつ、何が起きても不思議ではない”と筆者に教えてくれたからです。
発災直後、これまでもこれからもない程、新聞・テレビ・ラジオを読み込み、見入り、聞き入ったことはありません。
残念だったのは、日本のメディアは国家的な危急存亡の災厄の前に、その実力を見せつけました。その実力とは、全く役に立たないということです。
サバンナで手負いの野獣に出くわし、手元に豆鉄砲しかないような有様です。受け手は希望を持てるようなことはなく、生死をかけた判断をする材料がほとんどありませんでした。
たとえば、朝日新聞では3月13日日曜日の朝刊に「広域避難はチェルノブイリを思い起こされる。しかし、この事故と直接比較できない」と婉曲な表現をし、「最悪の事態回避へ懸命」と見出しまで付けていました。
チェルノブイリを彷彿とさせるが、最悪の事態回避に向け様々な機関の人が努力を傾けているから「心配の必要はない」といったところでしょう。
3月15日夕刊になると、「最悪の事態に備えを」との見出しで「極めて深刻な放射能放出が始まった」とし、「福島原発の敷地周辺では非常に高い放射線量が検出されている。今後、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と比較して語られることになる」と激変しました。福島第一原発事故は、「心配ない」から「チェルノブイリ並みの事故」と言い換えたのです。たった2日の間に、方向性は180度転換したのです。
この日の夕刊には更に、一面を「放射線から身を守るためには」と広報しましたが、これでは受け手側に「放射性物質が降り注ぐ」と言い切ったのと同じでした。ご丁寧に東京の天気まで記載されていました。誰が読んでも、福島第一原発事故はチェルノブイリ並みの事故であり、都内に放射性物質が降り注ぐとしか読み取れません。
新聞がこうくれば、テレビもラジオも同じ方向性でより刺激的な言葉が並べられました。週刊誌も追随しました。日本は東日本大震災による巨大津波により原発事故が起き、日本には夢も希望もなくなったとメディアは報道を続けました。
筆者の知人は報道に踊り、避難を準備し千葉県北東部から兄弟のいる都内北部に移動しました。パニックになりより原発に近付くというお粗末さでした。
冷静に考えれば、都内に大量の放射性物質が降り注ぐのであれば、福島第一原発と都内までの距離は200~250キロ。その間に、どれほどの放射性物質が降るというのでしょうか。
一歩下がって新聞を読めば、不自然な報道であることが理解できるはずです。政府の隠蔽?と疑いたくなるのが人情というものです。
天皇陛下によるお言葉が発せられたのは、3月16日でしたが、陛下のお言葉が大きな意味を持っていました。
結局、メディアではなく陛下のお言葉で冷静になれたと筆者は思っています。
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