元自衛官の憂い The third
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07222153 | [PR] |
09241035 | Si vis pacem, para bellum(汝平和を欲さば、戦への備えをせよ) |
9mmパラベラム弾をご存知ですか?
反動が弱く弾道がフラットで、現在でも使われている弾です。1901年にドイツで開発されたもので、ドイツ武器弾薬工業のモットーがSi vis pacem, para bellumから付けられたものです。
汝平和を欲さば、戦への備えをせよとラテン語の警句ですが、出典は明らかではありません。
一般にはローマ帝国の軍事学者であったウェゲティウスの表現を変えたものだとされています。
「したがって、平和を願う者は、戦争の準備をせねばならない。勝利を望む者は、兵士を厳しく訓練しなければならない。結果を出したい者は、技量に依って戦うべきであり、偶然に依って戦うべきではない」
今回の日本の防衛戦略の一大改革を、筆者は性急であり、拙速だと考えています。
解釈改憲ではなく、時代に応じた憲法改正を行い、国民投票を経るべきです。
その間に、これまで国防アレルギーを緩和し、思想信条心情を排除した現実的な情勢分析を行える土壌を作り、そこで憲法改正の信を問うべきです。
でなければ、今回の反対派の主張のように思想信条心情で現実を断じてしまい、日本が直面する現実には目が行かなくなります。
筆者は冷戦期を体験していますが、日本と欧米での「冷戦」の受け止め方は全く次元の違うものだったのを覚えています。
欧米諸国は「核戦争」がいつ起きても不思議ではないと認識している一方、日本では起こらないと確信していたのではと思えるほどの差がありました。
筆者は日本人は「教訓」を得ない、生かさない国民性だと考えています。
それは、戦争に顕著に表れていると思います。
日本は日清、日露、第一次世界大戦、そして惨敗を喫した第二次世界大戦を経験してきました。
日清、日露、第一次大戦と「戦勝国」であったため、戦争を省みることは容易ではありませんでしたが、戦勝国であっても省みるべいものはあったはずです。日露戦争は、戦術的勝利であっても、日露戦争が総力戦となっていたら、今頃、日本人はロシア語を話していたかもしれません。
日露戦争当時、ウラジオストクから出撃したロシア極東艦隊が遊撃戦を行い、日本はパニック状態に陥り、国内の海上交通路は寸断されてしまいました。
当時、遊撃戦を展開したのはロシア巡洋艦3隻。「勝った!勝った!」と提灯行列をしても、少し前は3隻の巡洋艦でパニック状態だったのですから、反省すべき点は多々あったはずです。しかし、何ら学ぶことをしませんでした。
大正5年、佐藤鉄太郎海軍大佐が
「島嶼国家日本の国防は海軍が主力とならなければならない。海軍力が充分でなかったがために、わずか3隻のロシア巡洋艦に東京湾の入り口まで脅かされてしまった。そして、もし日本海軍がロシア海軍に破れていたならば、満州に展開していた50万の日本陸軍は全滅してしまった。いくら陸軍が精強でも、海軍が敗北してしまっては、日本は守れない」
と説きましたが、誰もこれに耳を傾けず、陸軍からの怒りをかっただけでした。
ごく当たり前のことなのです。しかし、誰も耳を貸さなかったのです。
とかく日本海軍の艦艇ばかりに目が行きますが、総兵力を見ると、その偏重ぶりがわかります。
陸軍6,766,800名 海軍2,890,500名
金食い虫の海軍をどうするかは、当時も今も変わりませんが、島嶼国家日本が容易に戦争に打って出られない事情があったにもかかわらず、対米戦に踏み切ったことは佐藤大佐の言葉を省みなかったからです。
米海軍では日本海軍が研究されており、佐藤大佐の言葉が実行されていれば、日米戦争は起きなかったとまで評価されています。
第一次世界大戦では、日英同盟に基づきドイツ帝国に宣戦布告した日本は連合国として参戦しました。
主戦場であったヨーロッパ戦線に帝国陸軍の派兵を要請されましたが、遠距離であり派遣準備や兵站に問題があり拒絶しました。再三の要請を受け、日本政府は帝国海軍の艦隊を派遣し、インド洋と地中海で船団護衛に当たりました。連合国側商船787隻、合計350回の護衛任務と救助を行いました。
連合国軍の兵員70万人を輸送。ドイツ海軍のUボートの攻撃を受けた連合国艦船から7,000名以上を救助しました。
この活動で、連合国各国から高い評価をえています。
艦隊は35回のUボートからの攻撃を受け、多くの犠牲者を出しています。マルタ島のイギリス海軍墓地の一角には、当時戦死した将兵の墓碑が建てられています。
このように、第一次世界大戦では潜水艦による商船攻撃が有効であり、シーレーン防衛が重要となる島嶼国家である日本の戦術に使える材料であったはずです。
第二次世界大戦では、日本海軍は通商破壊戦を行いませんでした。
アメリカ海軍は通商破壊戦を実行し、日本はじり貧状態となり敗戦を迎えます。
戦争を否定するあまり、軍事に関わる全てを否定するようになった日本。その否定が平和をもたらすと錯覚するまでになり、やがては無関心が国民感情となりました。
「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」とは言いません。しかし、平和を念じていれば平和でいられるとは何の保証もないないのです。それをいつ気付くかです。
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