元自衛官の憂い The third
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07292021 | [PR] |
05301802 | 慰安婦 |
大韓民国から批判を受ける〝従軍慰安婦〟問題についてですが、作為的なものかどうかは筆者には断じる資料がありませんのでここではそれをしません。
〝慰安婦〟問題の根源にあるのは、私からすれば「勉強不足」というつまらないオチです。
「女子挺身隊」といっても、戦時中を知る人、昭和史に詳しい人ならすぐにわかりますが、「女子挺身隊」についてわかる人は少ないと思います。
「女子挺身隊」は戦局の悪化で男性労働力の不足により、女性の労働力に注目され、連合国での女性勤労動員から昭和18(1943)年9月に女性労働者の就業拡大を図られました。昭和19年に勅令により、女子挺身勤労令を公布。この法令により、女子挺身隊は勤労奉仕から集団就職への変わりました。
大韓民国では「女子挺身隊」を「慰安婦」と誤用しています。慰安婦問題を訴える「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗っているほどですから、完全に曲解しています。
クマラスワミ報告によれば、1942年までは朝鮮人警察官が村へやって来て「女子挺身隊」を募集したとしています。先述したとおり、労働従事のための「女子挺身勤労令」が出されたのは、1944年8月からですので、クマラスワミ報告は間違っています。大韓民国の反日主義者と、日本の左派がクマラスワミ報告に虚偽の情報を伝え、その情報を基に報告が出されたことがわかります。
笑えるのは、大韓民国での「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗るようになったのは、元慰安婦と名乗る金学順(キムハクスン)が日本政府に対する訴訟の原告となった時に「親に40円でキーセンに売られた」としていたのを、朝日新聞の記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうちの一人が名乗り出た」という捏造記事を、大韓民国側は鵜呑みにして〝挺身隊〟という言葉を使うようになったようです。
軍用売春は軍の公認で設置され、公娼制を前提に活用しました。フランスでは「キャンディボックス」と湾曲に表現していましたが、旧軍では「軍慰安所」としていたことから「慰安婦」とされるようになりました。ちなみに、アメリカ合衆国は名目上「公娼制」を否定していましたので、こうした施設は存在していません。大韓民国では朝鮮戦争時、国連軍やアメリカ軍のために設置された売春施設は「基地村」と呼ばれました。
大韓民国では政府が公式に慰安婦を募集し、「特殊慰安隊」「第5種補給品」と呼ばれました。朝鮮戦争後は、「美軍(アメリカ軍)慰安婦」「国連相対慰安婦」「挺身隊」「国連挺身隊」と呼ばれ、「ドルを稼ぐ妖精」「民間外交官」とも呼ばれました。
当時はどこにでも存在したものですが、それを取り立てて日本を相手に騒ぐのはいかがなものかと思います。
歴史という時間の流れの中に埋没していますが、終戦後に日本政府によって作られた「特殊慰安施設協会」という慰安所がありました。Recreation and Amusement Associationという英語表記から「RAA」としても知られています。
この組織は、アメリカ軍は前述のとおり公娼制度を認めていませんのでアメリカ軍が慰安所を設置しないことがわかり、占領軍による日本人女性に対するレイプ事件が予想され、連合軍向けの慰安所が設立されたのです。資料により様々ですが、53,000~55,000という女性が従事していたそうです。
ヨーロッパ戦線ではアメリカ軍によるレイプ被害は14,000件。アメリカ軍はノルマンディー上陸後にフランス人女性をレイプ。当時のフランスでは、街を歩けばフランス人女性にのしかかるアメリカ兵の姿を見ないで歩けないほどとも伝えられています。フランスのとある市長は、アメリカ軍司令部に慰安所の設置を懇願し、フランス人女性を守ろうとしましたがアメリカ軍司令部はこれを拒絶しました。
沖縄戦後ではアメリカ軍兵士から強姦された沖縄女性は10,000人とされる資料もあります。日本に進駐したアメリカ軍は、最初の10日間で神奈川県下で1,336件とされています。
アメリカ兵による事件は、民家への侵入、武装して慰安所を襲撃し女性を強姦・輪姦するだけでなく、小学生や病院を餌食にした事件も起きています。こうした事件は、GHQによる報道統制で公にはならず、完全に歴史の中に埋没しています。
RAAとは別に、アメリカ軍の女性兵士のために「慰安夫」も存在していたようで、大韓民国の訴える従軍慰安婦だけを取り上げてはならないのです。
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