元自衛官の憂い The third
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07232207 | [PR] |
03100007 | 東京大空襲 |
今から74年前の3月10日午前0時7分、東京大空襲が始まりました。投下されたのは、38万1300発、1,783トンにものぼります。当時の警視庁の調査での被害数は以下の通り。
死亡:83,793人
負傷者:40,918人
被災者:1,008,005人
被災家屋:268,358戸
全てが灰塵となり人的被害は10万人を超えているとされます。これは、どこからどう考えてもアメリカが国家ぐるみの戦争犯罪でした。
私はここでアメリカの戦争犯罪を糾弾しようとは思いません。歴史の1ページとして、事実認識して欲しいがために記すものです。
東京大空襲に使用された焼夷弾(ナパーム弾)は38個の子爆弾を束ねてE-46に収納されたクラスター爆弾の初期のものです。爆撃機から投下されると、610mの高度で開き子爆弾が散らばります。信管が下向きで落下し、尾部には約1mのリボンが付けられており、このリブボンはE-46が子爆弾を撒き散らす際に火薬が使用されるため、リボンに火が付いて落ちてきます。地上からは火の雨が降ってくるように見えたと証言があるのは、このためです。M-69が建物や地面に衝突すると、信管が時限式で数秒間燃焼すると中の白リン剤に点火され、これが燃焼剤を点火させ火の玉になり周囲に散らばります。
B-29には40発のE-46が搭載されましたので、1機当たり40×38=1,520 発の子爆弾が搭載されていたことになります。こうして書くと、軍事作戦の一つであったようですが、東京大空襲は綿密に実験が繰り返された大量殺戮だったのです。
アメリカ軍は日本家屋を再現し、大規模な延焼実験をしています。実験にはハワイから日系人の住まいから畳まで取り寄せ精巧に再現され、実験が行われました。
これだけではありません。アメリカ軍は江戸時代の江戸の大火、関東大震災の検証を行い、火元・風向き・延焼状況、被災状況などを詳細に分析しました。ここでアメリカ軍は日本家屋の密集地帯は火災に脆弱で、ナパーム弾による爆撃が最も効果的であることを熟知していたのです。さらにアメリカ軍は人口密集地を割り出し、爆撃目標にしました。最後に3月10日に作戦が決行されたのは、気象情報で季節風が強いとの予報が出されいたからです。周到に準備されたアメリカ軍による日本人大量殺戮作戦=東京大空襲だったのです。
一夜にして東京の東半分、約3分の1が焼失。火災の煙は成層圏まで達し、火災旋風も起こり被害は甚大なものとなりました。ナパーム弾は水では消火できず燃えるに任せるだけ、猛烈な季節風がさらに火災を拡大させました。炎から逃れようとした人々は、猛烈な火災で酸素を失い窒息死したり、子爆弾が身体を貫き即死させたりと地獄絵図でした。川に飛び込んでも低い水温のために凍死するというまさに逃げ場のない爆撃となりました。
都内(旧東京市)にアメリカ軍は毒ガス散布作戦も検討しており、日本人を徹底的に殺戮し尽くす考えがあったことがわかります。アメリカ人の中には少なからず、真珠湾攻撃を持ち出し原爆投下を正当化する発言をします。真珠湾攻撃は「騙し討ち」だと言われますが、これは外務省の失態が招いたことです。ちなみに、真珠湾攻撃でのアメリカ側の犠牲者は戦死2,345名、民間人死亡68名でした。犠牲者の多寡で論ずる気はありませんが、この犠牲者の代償に東京では10万人、広島・長崎で10万人ずつが犠牲になり、日本人一般市民(非戦闘員)の犠牲は50万人にのぼります。この代償が日本人が払わなければならない代償だったのか…私たちは考えなければならないのではないでしょうか。
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