元自衛官の憂い The third
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06090827 | 歴史を学ぼう! |
広島を訪れたオバマ大統領ですが、広島・長崎の原爆投下に大きな影響力を持っていた人物がいたことを今ではなぜかお座なりにされています。
この人物は将来起こるであろう米ソ冷戦を制するため、日本に対し最強硬派となり、トルーマン大統領と個人的に親しい関係を利用し日本に原爆を使用させるよう仕向けた張本人だと私は思っています。
それよりも、日本人は歴史を趣味的に解釈する人が少なくありません。江戸時代辺りまでであれば、それもまた問題はないかもしれませんが、せめて日本が近代化へと舵を切った幕末以降を学問として捉えるべきではないでしょうか。
昭和20(1945)年7月17日から8月2日にかけ、ソ連占領地域であったドイツのポツダムに米・英・ソ(蘇)の3ヶ国首脳が集まり会談が行われました。内容は第二次世界大戦の戦後処理決定でした。第二次世界大戦の連合国の首脳会談が行われたのは3度目で、ポツダム会談がその最後になります。
会談の最後にポツダム協定が策定され、7月26日には日本政府に対し日本軍の無条件等を求めたポツダム宣言が公表されたことで有名ですが、実は公式日程では対日問題は協議されてはいませんでした。
ポツダムで初顔合わせとなったスターリンから、「ソ連はヤルタ密約を守り日本との戦争に加わる」と伝えられました。トルーマンはこのスターリンの言葉に欣喜雀躍します。アメリカはフィリピン、沖縄、そして次は日本本土への侵攻を計画していましたが、日本ほどに近付くにつれて米兵の犠牲者が増え、日本本土作戦では大きな犠牲が強いられることを懸念していたため、ソ連の対日参戦は米軍の作戦にプラスになることは明白だったからです。
会議の冒頭、米国提案として「平和条約締結のための外相会議の設立」「ドイツ占領政策の決定」「イタリア・ギリシャ・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアの選挙監視共同行動」「イタリア王国の休戦条約緩和と国際連合(連合軍)への加入」を挙げました。チャーチルは研究が必要だとしますが、イギリス側の提案は特にないとし、スター員は「ドイツ船舶の処分」「賠償」「イタリア植民のソ連による信託統治」「ルーマニア・ポーランド・ハンガリーの親ソ政権に対する米英の承認」「(スペイン)フランコ政権問題」「ジブラルタル海峡問題」「シリア・レバノン問題」「在ロンドン、ポーランド亡命政府問題」を挙げました。
特にポーランド問題、賠償問題、旧枢軸国内に成立した政府の扱いは英・ソの間で対立しました。
詳細は省きますが、英国総選挙で保守党が大敗し、労働党から首相が指名されチャーチルは7月26日に帰国します。新首相クレメント・アトリーが会議に参加しますが、英国の主張は変わらず英ソの対立の溝は埋まりませんでした。会議が決裂することも考えられ、トルーマンは協定が不成立でも帰国する決意を固めました。
そこで動き出したのはジェームズ・F・バーンズです。バーンズは英ソが合意に達しアメリカ側の三条件を策定されなければ、8月1日に会議を離脱するという恫喝に出ます。
このように対日戦については、非公式にスターリンからソ連の対日参戦密約を守るというものだけでした。真実は推し量るしかありませんが、ここまでの流れで明らかなのは米英ソにとって対日戦は会議の議題となるほど重大な問題ではなかったからではないでしょうか。
米国内でも陸軍長官ヘンリー・スチムソン、海軍著観ジェームズ・フォレスタル、元駐日大使ジョセフ・グルーらの「三人委員会」で対日勧告が策定され、立憲君主制維持の柔軟な降伏勧告が存在していました。
7月16日、トルーマンに原爆実験成功が伝えられると状況が一変します。原爆の保有により、ソ連の対日参戦は不要となり、日本側は和平を模索するためにソ連に接近しており、原爆使用でアメリカによる対日戦の幕引きができるとトルーマンは強いメッセージを日本に送ることを決めました。
対日勧告から天皇制維持が削除され、イギリスはこれを「日本国民」から「日本」「日本政府」と変更するよう求めアメリカはこれを受け入れ、ソ連は日本とは交戦状態にはなく何ら反応をしめしませんでした。
ここで前に戻りますが、7月26日に「ポツダム宣言」が公表されますが、7月26日はチャーチルは帰国。宣言文に中華民国が入れられていますが、当時、中華民国は会談には不参加。署名したのはトルーマンだけであり、他の国の署名もトルーマンによるものだったのです。
国際慣例では、認められるものではない「ポツダム宣言」となるのですが、日本は国際慣例上認められない降伏勧告に従い〝降伏〟したのです。
そして、ポツダム宣言を一時黙殺し、これを理由としてアメリカは日本に対し原爆攻撃を実行したのです。
アメリカが原爆投下を謝罪するかどうかより、最も重要であるこうした〝事実〟に誰も目を向けようとはしません。それは、不幸にも原爆を使用された側である我が国もこれに含まれます。歴史を学ぶのは趣味だけでなく、今ある国際社会がどうして生まれたのかを理解するための重要な道具です。我々、日本人にとり最も必要なことではないでしょうか。
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