元自衛官の憂い The third
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04150852 | 「赤飯」やめました! |
東日本大震災で、自衛隊が放出した戦闘糧食、いわゆる「カンメシ」に赤飯があり、祝い事で食べる赤飯を被災者の前で食べられないだけでなく、被災者に配れないとのことで赤飯は調達されないよになりました。赤飯は好きだったんでした。
今でこそ、カンメシやパックメシ(戦闘糧食Ⅱ型)が災害で被災された方たちに配られますが、かつては大規模災害が起きてもカンメシを配れない時代がありました。
信じられないかもしれませんが、カンメシというほどですから中身は「米」です。「米」はかつて食糧管理法という戦時中に制定された法律で、「米」は厳重に管理されていました。
平成5(1993)年7月12日22時17分に発生した北海道南西沖地震で発生した津波で、奥尻島が大きな被害を受けました。この被害に奥尻島分屯基地(北部航空警戒管制団第29警戒隊)がいち早く対応しました。
お名前は控えますが、当時の基地司令の決断で「カンメシ」を島民に配ることを決めました。「いまは非常時だ。島の人たちが困っているのに、自衛隊が手をこまねいていて見ているわけにはいかないだろう。手続きとか悠長なことを言っていられる状況じゃない。ともかくどんどん出せ。上の方で問題になったら俺が全責任をとる」と命じました。
「問題になったら」というのは、食糧管理法だったのです。
「米」を官庁(役所)が放出(無償提供)するわけですから、手順としては奥尻町役場→檜山支庁(現:檜山振興局)→食糧事務所→食糧庁・国土庁とが協議して放出の決定がなされます。緊急事態などまったく想定していないわけです。
ここからが自衛隊の面白いところで、新聞等でカンメシが配られていることを知った上級部隊(北部航空警戒管制団・北部航空方面隊)から即刻中止するよう命じられます。目の前の困窮する島民(国民)よりも法律に忠実であろうとする自衛隊です。まあ、批判されることを避けたかったのと、さらに上級部隊(航空幕僚監部)からの叱責を逃れるために、現場の部隊に無理難題を押し付けた形にしたかったのでしょう。
赤飯のカンメシが廃止されたのは、被災者からの苦情もあったようです。何事につけても、自衛隊批判第一の考えをお持ちの方がいらっしゃいますので仕方がありません。
役所は納税者(国民)の守られていながら、国民を無視するところなのがよくわかります。
もっと残念なのは、奥尻島での教訓が2年後に起きた「阪神・淡路大震災」にまったく生かされていないことです。陸海空が情報を共有した時代ではなかったと言ってしまえばそれまでですが、国民の生命にかかわる問題をないがしろにされていたという現実もあります。
奥尻島では地震発生時、分屯基地に防衛医官が詰めており、災害医療を体験していました。この経験もまた無視されてしまったことになります。
「赤飯」をやめることの良し悪しではなく、何を中心にして対応を決めていかなければならないのか、それがまったく考えられていないことは重大な事実だと思います。奥尻島の犠牲者、そして阪神・淡路大震災の犠牲者を出して、ようやくよりアクティブに動けるようになった自衛隊ですが、法律を守ることは重要なことですが、法律を守ろうとするあまり法律に込められた「精神」まで無視してしまっていいのか、我々に問われているのではないでしょうか。
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