元自衛官の憂い The third
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09110201 | [PR] |
02171057 | 大本営発表 |
自衛隊はどこに向かおうとしているのでしょうか。
南スーダンPKO派遣施設隊の「日々報告」の存在が、一時は廃棄されたとされていたものが、一転してその存在が明らかになりました。
なぜ、存在するものが「廃棄」と説明され、一転して「存在」すると変えられたのでしょうか。これは、自衛隊/防衛省内は一枚岩ではないことの証であり、制服組の一部が暴走し始めているのではと危惧しています。そうした精神構造は、かつての「日本軍」に共通する傲慢さではないかと感じます。
かつての戦争がなぜ起きたのか、厳格に調べ上げ、後世の政策などに繁栄させなければなりません。いわゆる「戦訓」というものです。
しかし、日本は全くこれを避けてきました。ですから、主観に大きく影響され、さらに思想信条が加味され、事実は完全に覆い隠されることになりました。
「軍隊」は国家の実力組織であり、主権国家の象徴です。しかし、巨大な官僚機構でもあるということを忘れてはなりません。
個人的にかつての戦争で軍人として尊敬しているのは、ペリリュー島の戦いを指揮した「中川州男大佐」とサイパン島の戦いでゲリラ戦を展開した「大場栄中尉」の二人です。二人に共通するのは、エリートではなかったことです。中川大佐は陸士出ではありますが、冷や飯を食わされた軍人であり、大場中尉は徴兵から甲種幹部候補生となった軍人です。
戦場での活躍ですから簡単に讃えるわけにはいきませんが、長らく戦史から消された「事実」です。その理由は簡単です。戦勝国であるアメリカを徹底的に苦しめた日本の軍人を抹消しなければならなかったからです。
エリート軍人たちは、官僚主義で派閥を作ることに執心し、戦略や戦術は二の次となってしまいます。当然、そうなれば新たな現実を理解しようとせず、そこから導き出される戦略や戦術を採用しようとはしません。
これが、大国を相手に戦争を決断させたと私は考えています。
同じ状態に自衛隊は陥りつつある証拠が、今回の文書問題ではないでしょうか。
自分たちに都合の悪いものは隠蔽する体質は、まさにかつての帝国陸海軍と全く同じです。一部では、稲田防衛相をなめているといった報道等がありますが、それよりも何よりも、「公文書」管理が全くできていないことに驚かされます。文書管理もできない公的機関など、あってはならない存在です。
かつての軍部とどれほど似ているか…それをハッキリさせるものがあります。
昭和15(1941)年7月26日に閣議決定された「基本国策要領」というものがあります。
そこでは「基本方針」として、
皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本とし先づ皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するに在り之が為皇国自ら速に新事態に即応する不抜の国家態勢を確立し国家の総力を挙げて右国是の具現に邁進す
「八紘一宇」とは全世界を一つの家にするというもので、戦争を正当化する標語として用いられたとする一方で、西欧列強の植民地支配されるアジア各国の解放だったとされる言葉です。
一方では侵略を正当化するもの、もう一方では植民地解放という解釈と相対するものです。しかし、現実にはどうであったかというと、昭和16(1941)年11月20日に大本営政府連絡会議で決定された「南方占領地行政実施要領」でわかります。
第一 方針
占領地に対しては差し当り軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得および作戦軍の自活確保に資す。
占領地領域の最終的帰属ならびに将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとす。
つまり、日本軍の侵攻は解放(独立)ではなく、軍の作戦遂行に役立つ資源、軍の活動に物資の獲得が目的であること。
第二 要領
八、米、英、蘭国人に対する取扱は軍政実施に協力せしむる如く指導するも、之に応ぜざるものは退去其の他適宜の措置を講ず。
枢軸国人の現存権益は之を尊重するも、爾後の拡張は勉めて制限す。
華僑に対しては蒋政権より離反し我が施策に協力同調せしむるものとす。
原住土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす。
〝原住土民〟という言葉のどこに、植民地解放(独立)という意味が込められているのでしょうか。軍部の本心がここに表れています。
このように都合の良いものだけを残し、都合の悪いものは隠蔽する体質を国民として咎めることは重要なことです。
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