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元自衛官の憂い The third

軍事的色眼鏡で見る世界 軍人は究極の合理主義者です。 合理主義者であるが上に、「人道」を忘れたり、犠牲にしたりすることがあります。 軍人は行動は計画的、本心を隠す、混雑する場所を避ける、計画的な金銭感覚、意志が固い、職場での信頼を得やすい、そして最後に家庭では扱いがぞんざいにされるです。 家庭ではぞんざいに扱われながらも、軍事的色眼鏡で見てしまう元自衛官の雑感などを書いていきます。
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  • :07/24/05:33

10210829 我々は受け入れられるのか

南スーダンは政府軍と反政府軍勢力との戦闘が拡大していると伝えられていますが、日本政府は「首都は落ち着いている」と稲田防衛相現地を視察して語っています。このギャップは何か…そこには、あってはならないことが存在しているのです。


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稲田防衛相が8日視察しましたが、同じ日、首都ジュバ近郊の幹線道路で市民の乗ったトラックが襲われ21人が死亡、約20人がケガをする事件が起きました。

7月には大統領派と前副大統領派が衝突。約300人が死亡するという戦闘が起きています。稲田防衛相は「各地で偶発的、散発的な衝突が発生している」と語っていますが、「ジュバ市内は比較的落ち着いている印象をこの目で見て感じた」とまで語っています。一般の我々には、理解できない論理の上に語っています。

ようは国会対策で、「停戦合意」「受け入れ国の同意」といったPKO参加5原則が崩れていないということをアピールしたいだけですが、これでは政府の見解が先行し、現場の自衛官だけでなくNGO等の関係者のことなど全く考慮されていないという現実があります。

南スーダンで活動する自衛隊の存在は、国際的に強くアピールするのは事実です。しかし、一歩間違えば武力行使となり、自衛官に犠牲を強いることにもなるのです。それを無視して言葉だけで現実を伴わない行為は、愚か過ぎるものです。

世界ではPKOが変質し、それにどう対応するか熟慮されています。

これまでは、停戦監視や紛争の仲裁といったものから、新しい国家の建設や国民保護というより複雑でリスクを伴うものとなっています。PKOが来れば、その地域の人たちは期待も膨らむでしょうし、直接的なかかわりも求めてくるでしょう。

それが、何のアクションも起こさなければ、期待を裏切り、PKOに対する風当たりは変わってきます。日本政府は原則にこだわり、本質を完全に無視しています。

野党も政府の主張をつぶすことを第一に、犠牲が予想されても無視しているのです。積極的平和主義とは、自衛官の生命を礎にしてまで築くべきことなのでしょうか。安倍首相は「仕組みはできた。今こそ実行の時だ」と自衛隊高級幹部会同で語りましたが、自衛官たちをどう守るか、保護するのか決まっているのでしょうか。

自衛官を守らないことは、言い換えれば、国民を守らないことにもつながります。銃後で安全な地域で、安易に決めていいことなのでしょうか。

思い出してください。7月の衝突ではJICA職員を首都ジュバから空港までの輸送を検討し、自衛隊/日本政府は国連との間で調整していましたが、退避を急ぐJAICAは自前の防弾車等で避難してしまいました。

自衛隊が送ったのはプロペラで航続距離の短いC-130で、アフリカ大陸はあまりにも遠かったのです。

国際的なメディアは、南スーダンはすでに和平合意は崩壊しているとの分析があります。今後、何が起きても予想できないとされています。

平和ボケの日本人の感覚で、南スーダンを見ていると大きな代償を払うことになります。その代償が、自衛官の生命であったはならないのです。

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