元自衛官の憂い The third
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07271926 | [PR] |
04170609 | 災害派遣 |
熊本を震源として発生した地震により、被害を受けられたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
熊本地方を震源とする地震への災害派遣で、空自F-2戦闘機が緊急発進を命じられ、それを知った電子掲示板サイトから出て来たようですが、F-2戦闘機が被災地に行っても「視認できない」から意味がないといった批判が起きたようです。
困ったものです!
東日本大震災で学ばなかったようです。
東日本大震災からこうした厄介者を除く、すべての人たちは多くを学んだようです。自衛隊、警察、消防、自治体、民間企業、民間団体等、いち早く対応が実施されています。心強い限りです。
まず、災害派遣でなぜ空自戦闘機が緊急発進するのかお話します。
作戦行動での基本は、作戦地域についての情報と敵部隊についての情報が必要になります。特に敵部隊の情報については流動的で、逐次更新されることが必要になります。「偵察」とは、これらの情報収集を目的とした活動です。
空自の戦闘機による緊急発進は、この「偵察」任務を帯びているのです。
災害派遣で部隊が展開するための情報収集が目的ですが、火災、家屋被害などの概要を把握するのが目的です。
地域の災害では「消防」「海保」等の組織が対処します。それぞれの組織は、全国に消防署、船舶、航空機を配置し、要救助者や関係者による通報、自らの情報収集により災害現場に出動し災害対処を行います。
自衛隊の災害派遣は原則的に「要請」により実施されます。自衛隊の災害派遣は、「消防」「海保」等の行う活動が不充分であり、あるいは緊急性を要する場合に限定され活動します。自衛隊法では(83条)「事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる」と限定されています。
災害派遣は、自衛隊の前身である警察予備隊時代、昭和26年10月14日に九州に上陸した「ルース台風」に出動したことが始まりです。「ルース台風」は最大風速は60mを超え、史上2番目の強力な台風でした。
戦後すぐで社会基盤がぜい弱であったため、当時の防衛庁/警察予備隊は消極的でしたが、政治主導で積極的に災害派遣(救援)に活用されました。
1960年代に入り革新的な意識が強まり、知識人だけでなく自治体にも浸透するようになり、「要請」が無ければ動けないという封じ込めが画策されました。革新的首長の自治体は、こうした縛りを強めていきました。こうしたことが可能だったのは、大規模災害が偶然にもなかったことが挙げられます。“縛り”を受けた側の自衛隊にも慎重になるようになり、この慎重さがやがて国民に阪神淡路大震災等で自衛隊の失態に映りました。
阪神淡路大震災は自衛隊の災害派遣に大きな影響を及ぼしました。
革新的な首長が自衛隊の災害派遣を否定することは、婉曲に自治体住民の生命財産を守らないという恐るべき現実がありましたが、保守派はこうした事実に目をつむり通しました。しかし、阪神淡路大震災は大きな犠牲を出しましたが、革新首長と自治体住民との間に一石を投じました。
自衛隊の中に積極的に災害派遣に関わろうとする動きが出て来たことです。雲仙普賢岳の噴火、地下鉄サリン事件等がこうした積極的災害派遣へと転換しました。
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