元自衛官の憂い The third
![]() (08/07)
(08/01)
(07/29)
(07/20)
(07/12) |
|
07271512 | [PR] |
02022233 | 祭りだ! 祭りだ! ワッショイ!! |
09272002 | 災害派遣のリアル |
台風15号による大規模停電で、自衛隊が災害派遣されました。
実は自衛隊のこうした給食支援や入浴支援は、それほど態勢が整えられているわけではありません。そうした自衛隊の支援を頼るのは、現実としては自治体や政府が全くこうした支援を検討していないという現実があります。
09251141 | 甘い安倍首相 |
08161216 | 台風 |
08080545 | ヒロシマ |
今から74年前の1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、一発の核兵器が街を消し去りました。生きとし生けるものすべてを焼き払ったのです。熱線、爆風による破壊しただけでなく、後々にまだ放射線による影響で被爆した人たちを苦しめました。
日本政府は広島、長崎への核兵器使用を大きく扱うことはありませんが、人類史上初の都市に対する核攻撃であり、アメリカは続く8月9日にも長崎に投下しました。広島は推定で35万人が滞留しており、このうち9万〜16万人超が被爆から2〜4ヶ月以内に死亡したものとみられています。数字が曖昧なのは、全てが灰塵にきし記録が焼失してしまっているからです。
恐るべき事実ですが、犠牲者が多過ぎて記録どころか記憶すら少ないのが原爆という名の核兵器の真実なのです。
被爆者が受けたものをご紹介します。
熱傷(やけど)
原爆が炸裂し熱線が放出されました。後に爆心から約600m離れた所で、瓦の表面が溶解し泡状になっていることが確認されています。推定でも2,000度を超えています。爆心から1,000m以内では5度といわれる重い熱傷で表皮は炭化し、皮膚が剥がれ落ちた状態となりました。
熱線による被害は爆心から3,500mまで及び、熱線で発火した家屋による熱傷被害も出ています。記録では爆心から20,000m(20㎞)以上離れていても、熱線により熱さを感じたとあります。
外傷
猛烈な爆風により家屋の建材やガラス等が散弾を放ったように襲いかかり、多くの重傷者も出した。戦後もこうした飛散物を取り除けず体内に残されたままの被爆者もいました。
猛烈な爆風で人体が吹き飛ばされ全身打撲、炸裂による気圧の急激な変化で衝撃波となり眼球の突出、内臓破裂、内臓の体外への突出などもありました。
あまりの惨状で言葉では伝わらないと思います。
放射線障害
単位をご説明します。1Sv(シーベルト)=1,000mSvです。7Sv以上の放射線を全身に浴びると死亡するとされています。広島の爆心では、γ(ガンマ)線103Sv、中性子線141Sv、爆心から500mでγ線28Sv、中性子線31。5Svと推定されています。爆心から1.5㎞離れた場所で、被爆者の顎の骨から推定9.46Svの放射線が検出されています。熱線、爆風、放射線と広島・長崎市民に死の三重苦を与えたのです。
以上のものは、資料を検索すればでてくるもので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。筆者の心に突き刺さるのは、被爆して生き残った人が様々なストレス障害だけでなく、日本人による差別に遭ったことです。東日本大震災による東京電力福島第一原発事故でも、差別が横行していました。
原爆では、被爆者の三人に一人が罪の意識にさいなまれているとの結果が出ています。自分だけ助かり、他者を助けられなかった。水を求める人に応えてあげられなかったなど、第三者が聞いても心に突き刺さる想いです。
連合軍による占領中、原爆の報道統制が敷かれ同じ日本人が原爆被爆者を差別するという忌むべき歴史が刻まれます。被爆(放射線を浴びた)者は、「放射能をうつす」と信じられていました。報道統制による情報不足が差別の原因の一つになったのかもしれませんが、21世紀になっても福島第一原発事故でも周辺から避難する人を差別したのですから、これは完全に日本人の「心」の問題でしょう。情けない限りです。
昭和30年代、「広島県出身」と口にすると「ピカを受けたのか?」と当たり前のように聞かれたそうです。被爆者であることを告げると、就職できないこともあったそうです。
保守層から「立派なニッポン」を賛美する言葉をよく耳にしますが、どこがご立派なのかさっぱりわかりません。ご立派なニッポンが福島県の避難者を差別しますか? 保守層の方、説明してください!
最悪です。アメリカが核兵器を頭上で炸裂させ、どうにか生き延びられても、同胞から差別されるなんて。耐えられる方いますか? これが当然だと言える方がいますか? 核廃絶もけっこうなことですが、日本人はまず差別したことを総括し、新たな核兵器廃絶を訴えるべきではないでしょうか。